2017年02月28日
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大戦末期の下高井戸駅には既に貨物側線が無かった!?

Written By: 川俣 晶連絡先

「面白かったので、メモだ」

「世田谷線の単線がそんなに面白いのかい?」

「違うぞ」

「じゃあいったい何が面白いんだ?」

「いいかい。世田谷線から資材供出のために単線になったという図面に、京王線下高井戸駅の貨物側線が既に無いんだよ。この意味が分かるかい?」

「どんな意味だい?」

「世田谷線の線路が一部撤去された。ならば、それに先だって京王線からも撤去されたのではないだろうか。撤去されたのは貨物側線ではないだろうか」

「なるほど」

「もう1つ疑問が出てきた」

「まさか」

「終戦後、徐々に京王線の編成は長くなっていき下高井戸駅のホームは延長されて貨物側線の用地は潰されていく。その際、貨物側線は復活してからまた撤去されたのだろうか。それとも撤去されたままホームが延長されたのだろうか」

「昭和史のブラックホール、昭和20年代問題に帰着するわけだね」

「おそらくそうだ。ただ雰囲気的に編成の長大化の方が先に進行しているような気もする。2600系が昭和25年にもう登場しているのでね」

「下高井戸一つでまだまだ話は続くわけだね」

オマケ §

「この資料、自分は見てない」

「なんで?」

「おそらく自分は京王関係の資料しか見てないがこれは世田谷線関係だからだ」

「なんて微妙な」

下高井戸周辺史雑記