「菊川さんが調査の結果、和田堀給水所から明大前駅方面への水路が何本も想定しうるとFacebookのグループ【東京西部郷土史研究会(仮)】で言っているので、半信半疑で自転車に乗って試しに1本の微低地を辿ってみたらあっさり和田堀給水所に到着した。以下が仮の想定経路」
「この通りに移動したの?」
「実際は下流側は少し北側の道を行った等の差はあるし、他もいろいろあるけど、大ざっぱに言えばこんな感じ」
「それだけ?」
「実は過去に明大前東部の水路跡探索、続・明大前東部の水路跡探索として見に行った経路もそのまま上流部に人工水路が繋がって和田堀給水所に繋がる可能性もある」
「へー」
「昔見た風景に出合って驚きさ」
新仮説 §
「で、君の考えは何?」
「馬事公苑がそうであったように、和田堀給水所も東西南北全ての方向に対する水路の起点になっていたのではないだろうか。水の重要施設になってしまったので見えにくいが」
「もともと水の重要な拠点だったと思えば、自然に水の重要施設に進化できるわけだね」
「そして、馬事公苑は水を使う馬と農業の拠点に進化した」
「いずれにしてもポイントは水だね」
追記・もう1つの想定経路 §
扶桑教本部を貫通して松原つみき公園(消防水利の看板あり)まで。その先は不詳なれど、その先は当然あってもおかしくない。