2017年06月23日
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日大二高から南に流れる水路は桃園川に直接流れ込まない

Written By: 川俣 晶連絡先

「陸軍用に中野駅から出ていた鉄道の引き込み線を調べていて、それが日大二高まで続いていたという説明をネットで発見した。しかし、どうもすっきりしない。辿ると水路跡っぽい。だが、高低差的にすっきりしない面もある。それはいろいろな疑問はあるがまだ【謎】ということで、横に置きたい」

「それで?」

「自転車で日大二高まで辿ってみたが、その際、日大二高からは南側に延びる水路もあったという情報を得ていたので一回りしてみてみた」

「何か痕跡があった?」

「あったも何も、立派なコンクリート板暗渠が残存していたよ」

「ひぇ~」

「この板暗渠、しばらく続いて道路でぷっつり切れて先が分からない。目の前が桃園川本流だから、漠然とそれに接続して終わりなのだろうと思っていた。高低差的には少しおかしいのだけどね」

「日大二高からまっすぐ南に進むと、すぐ桃園川なのだね?」

「そう。遠くない」

「それで万事解決?」

「いや、古い航空写真その他の情報で辿ると、桃園川に直接流れ込んでいないことが分かった。突然曲がって、桃園川と平行しつつかなり長い距離を進んでいたようだ。一応、辿れた範囲の線を大ざっぱに引いてみた」

「これはどう解釈したらいいんだい?」

「おそらく桃園川本流とペアで2本水路の農業用水を構成していた。桃園川本流側が給水側でこちらの川が排水側じゃないかな」

「どうして、これより下が辿れないの?」

「中央線沿いの市街地だからな」

「どうしてこれより上が辿れないの?」

「日大二高の敷地だからな。敷地として整備されてしまっている」

「中央線より北はあまり熱心には扱わないのではなかったの?」

「実は日大二高は死んだ父の母校なんだよ。ちょっと気になる」

「君自身の母校はどうなんだよ」

「ああ、それはね。在学中から敷地の地下に川が流れていることを知っていたから今更調べるまでもないの」

「ぎゃふん」

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