2017年08月27日
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所沢街道の研究・それは本来何であったか (ついでに成木街道の謎等)

Written By: 川俣 晶連絡先

「こちらの問題意識は、田無での所沢街道と青梅街道の分岐部分で、どう見ても直進が所沢街道に見えるのはなぜかであった。その謎が解けると、所沢街道の謎も解けそうな気がしていた」

「それで?」

「しかし、調べが進むとそうではないことが分かった」

「何が違ったのだい?」

「そもそも、田無で分岐するのが所沢街道ではなかったのだよ」

「えー」

「近世の主要道路という地図を発見したところ、近世での所沢街道とは所沢から府中を経て川崎に向かう道であった。田無は通らない。九道辻から田無までの区間は、おそらく初期青梅街道の無数のバリエーションの中の一つ」

近世の道路

「なるほど。君がいくら探しても何も出てこないわけだね。田無での直進が所沢街道だったのではなく、それも初期青梅街道でしかなかったわけだね」

「そうだ。そしてまた府中の話題に戻って来た。府中の話題なら避けては通れない」

「どうして所沢街道の経路が全く別の道に変更されたのだと思う?」

「たぶん、川崎に向かう経路は、府中まで来たらそこからは多摩川沿いに海まで進む道だ。水運、海運と連携するにはリーズナブルだろう。しかし、今は陸路で都心と直結した方が有利だ」

オマケ・成木街道問題 §

「青梅街道を調べるとすぐに、当初は成木街道と呼ばれたという記述に突き当たる」

「成木は青梅方面の地名だね」

「そうだ」

「それに何か?」

「実は上の地図で成木街道と青梅街道は別の道として描かれている」

「えーっ」

「本当に成木街道の進化形が青梅街道なのだろうか。成木街道が青梅以降も延長されたものが青梅街道なのだろうか」

「疑問が次々出てくるわけだね」

「ざわざわするよ。所沢だけに」

オマケ・日光街道問題 §

「他に気になることはあるかい?」

「あるある。厚木と川越を結ぶ街道が日光街道なんだ」

「えー」

「WikiPediaの日光脇往還(千人同心街道)に該当するように思えるが、始点終点が全く違っていてよく分からないが、八王子、箱根ヶ崎を経由するのは同じなので、おそらく同じ道のことを言っていると思う」

「何か推定はある?」

「何もない」

オマケ・鷹野街道 §

「戸山、三鷹、柴崎、拝島、羽村を結ぶ鷹野街道も気になるね」

「柴崎か」

「しかし、この柴崎は東京都調布市柴崎のことではなく、府中より西にあることから東京都立川市柴崎町ではないかと思う」

「それどこ?」

「多摩モノレールの柴崎体育館がある場所だ」

「何か推定はある?」

「何もない」

追記・所沢街道(旧秩父道) §

「上記の地図を掲載していた本の本文に、【現在の田無は、所沢街道(旧秩父道)……】という記述があるのを見落としていた」

「えー」

「ネットには国道463号線がかつての秩父道という記述もあるので、おそらく国道463号線の一部が旧秩父道の一部なのだろう」

「所沢は本来の終点ではなく、そこから秩父まで伸びていた可能性があるわけだね」

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