「昨夜と今日、古い玉電写真の乗った本と古地図を見て分かってきたことをまとめよう」
- 玉電の瀬田電停は、位置が移動している
- 当初の位置は、瀬田交差点より北東側。HUIT用賀の前あたり。そこは地図上で都道427線が少し膨らんでいるように見える。ここに電停があったのはおそらく246開通前。(大山街道の本道は都道427相当)
- 移動後の位置は、瀬田交差点より南西側。瀬田交番前。
- 余談だが、当初の位置からすぐ近くに藤の湯というお風呂屋さんがある
- 246の建設、拡幅や環八の建設、アンダーパスの建設などで各種施設の位置が微妙にずれている可能性があるので、厳密な位置特定は難しい
- 厳密な位置特定の手がかりになりそうな店舗【セタフォート】さん、現存らしい
- 余談だが、瀬田電停が消えてから商店が減った
- 余談だが、瀬田交差点のラーメン一松は、現在でこそただの246沿いのラーメン屋だが、昔は246を挟んで向かい側に瀬田電停があった。事実上の駅前ラーメン屋ではないか
「かくも瀬田交差点は面白い」
「本来は駅前商店街が存在した場所なのだね」
「そうそう。そういう視点で見ると、セタフォートさんもラーメン一松さんも全部違って見えてくる」
2017/08/28追記 §
いくつかの疑問点が【今日ものんびり世田谷線―サヨナラ玉電時代の旧型電車 (竹内書房)】で確認できた。
- 1969年頃(玉川線廃止頃)の写真を見ると、瀬田電停に上りホームしかない。下りホームはどこか?→交番前の上りホームの向かいの道路のペイントが下りホーム相当である。そこで人が乗ってる写真がある
- 同じ頃、瀬田交差点北東方向にホームはあるか?→ない。そこが写っている写真が掲載されているが、車道しかない
ちなみに、セタフォートの現存はその目で見て確かめてきた
ついでに言えば、旧停車場の推定位置は風呂屋の入口そのものであった