2018年07月12日
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【超貴重】終戦直後の下高井戸の体験談

Written By: 川俣 晶連絡先

 終戦直後の下高井戸のたいへん貴重な体験談を頂きましたので、許可を得て掲載します。

突然 書き込みをいたします。私、 戦後より9年ほど 旧住所でいう下高井戸1-75の場所に居住しておりました。 とても懐かしいところですので 興味深く拝見をいたしました近くに映画監督さんのお住まいあり、 お向かいには○○飛行機 の○○様がお住まいだったと思っております、深い崖地の池のある 当時としては珍しい3階建ての建築( 3階が1階として)のお宅がとても印象に残っております。

たぶんそこが現在の大慈会教団本部ではないかと思います。わたくしどもの家は一番高台だったように記憶しています 。

小学校時代は クラス全員が我が家の庭でお月見をしたことが懐かしく思い出されます。

家の裏側の急な坂を降りると 小川でザリガニがとれ 神田川ではみずあそびができました。

橋の名前は忘れたのですが 龍泉寺さんの門前の木造橋が生活道路で すぐわきに立派な石の橋がありました 、その橋を下ると永福町に続く道路です

吉田園から外れますが、学区から言いますと杉並は 井の頭線の高井戸というところまで通はねばならなかったのですが目の前は世田谷でしたので 下高井戸駅近くの松沢小学校に出かけ校長先生のお宅に寄留させていただいた ありがたい経験をいたしました。

松沢中学校の地続きが三井牧場で 風の向きによって匂いがもろでしたし どこまでが校庭なのか広い敷地で 牧場近くに オセンチコートなどと命名した場所があり仲間と集ったものです。ちなみに牧場主は 小学校の同級生のお父様でした。

又 紅梅キャラメの懐かしい社名が出てきましたが 上北沢で降りて通学路にある松林の中に紅梅キャラメルと確か興和化学という会社があったように思います巨人ファンの私には紅梅キャラメルはことのほか懐かしいキャラメルです。

「何か気付いたことはあるかい?」

「特筆したいことは二つある」

「一つ目はなんだい?」

「橋が2つあったことは航空写真から分かっていたが、永泉寺橋が木造橋で生活道路、下高井戸橋は石の立派な橋だった、ということが分かった」

「もう一つは?」

「上北沢の紅梅キャラメルは、松原の誤記とも思えないのでまた新しい何かかもしれない」

「何かヒントはないの?」

「近くに興和化学?という会社があったと言うが、航空写真で何かの痕跡を見出せそうな気がする。ただの事務所であろうと農地とは違う何かが見えそうな気がする」

「じゃあ、何かが見つかりそう?」

「米軍撮影の航空写真が撮られた後に作られた会社だと見つからない可能性もある」

「修羅の道か……」

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