2018年11月07日
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昭和3年3月の高井戸小の卒業写真集の各写真の撮影位置を推定する

Written By: 川俣 晶連絡先

集合写真 §

写真A

 集合写真は、職員、尋常科卒業生、高等科卒業生の3枚収録されているがいずれも同じ背景である。

 これを写真Aとする。

フレームの手入れ(高2男) §

写真B

 高2男とは、高等科2年と思われるので、現在の小6相当と思われる。フレームとは何を意味しているのかはっきりしなかった。

 これを写真Bとする。

全校生徒 §

写真C

 校舎、校庭、全生徒の全景が割と分かりやすく写っている。

 これを写真Cとする。

学校の遠景(上)及び校庭よりの望遠(下) §

写真D1&2

 上は学校外から学校を見た写真。下は学校から外を撮った写真。

 上を写真D1とする。

 下を写真D2とする。

撮影位置の推定 §

 今昔マップで閲覧できる1936年の航空写真を利用して撮影位置の推定を行った。ただし、1936年は昭和11年である。昭和3年とは8年の開きがある。基本的な建物の配置は変わっていないが、建物の増設はあり得ると考えて臨んだ。

 先に推定位置を書き込んだ写真を示す。

推定図

 写真Aに関しては当初校舎西側と推定していたが、航空写真を見ると学校近くの林は道路を挟んだ東側にあるように見えたので、東側と推定してみた。このように推定した場合、写真Aの手前に写っている側溝は道路の側溝である。その手前の地面は路面そのものである。道路は現在の環状八号線である。

 写真Bに関してはどうしても位置を特定できなかった。

 写真Cに関しては、現在の環状八号線から校内を撮影したものと推定する。

 写真D1に関しては現在の環状八号線のやや南側から撮影したものと推定した。写真D1の撮影位置を肯定するなら赤字で増設と書いた建物が見当たらない。昭和3年から昭和11年の間に増設されたものと推定した。

 写真D2に関しては南西向きに映したのか南東向きに映したのかはっきりしないのだが、暫定的に南西向きに映したものと推定した。なお、学校南側は神田川沿いの水田であると推定している。ただし、昭和11年の航空写真には井の頭線が映り込んでいるが、昭和3年の時点で井の頭線はまだ存在しない。

感想 §

 正直、未確定の分からないことがいろいろある。あくまで暫定的な推定だし、そもそもAなどの撮影位置はかなり曖昧な推定である(もっと北かもしれないし、南かもしれない)。

 ちなみに、この卒業写真集、いったい何冊残存しているのだろうか。

 高井戸小の図書室には残存しているのだろうか。

余談 §

 ちなみに、昭和3年3月高等科卒業の川俣カネさん、集合写真に顔と名前が残っているが何者なのだろうか。ご存じの方は是非ご一報頂きたい。川俣晶の祖先ではないことだけは確認している。(昭和3年だと、うちの祖先はまだ下高井戸に引っ越していないらしい、昭和何年に引っ越したのかははっきりしないのだが昭和10年ぐらいまでには引っ越してきているらしい)

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