2018年11月20日
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現地調査で考察する東京朝顔園の終焉

Written By: 川俣 晶連絡先

 東京朝顔園の推定位置である東京都世田谷区北烏山1丁目58の現地を見てきました。

 その結果、いろいろ分かってきました。

  • 西側の道路の歩道は明らかに水路跡である。水を多く使う東京朝顔園には好ましい立地だっただろう
  • 東側の杉並区側正面には、玉川上水に直結する道路があって便利が良い。この道はもともと存在していたようだ
  • 宅地化が進行し、水路の農業用水から下水への転換が進むと東京朝顔園としては朝顔用の清浄な水の確保が難しくなることを意味する
  • 宅地化が進んだという記述は朝顔抄にもある
  • 多摩川周辺はまだ宅地化が進んでおらず、多摩川に近いので水も豊富だった
  • 東京朝顔園の移転は環境の変化に伴う必然だったのではないか

 残された疑問は以下の点です。

  • 東京朝顔園行きのバスはどの道を通ってどこから入ってきたのか。放射5号線が存在しない当時、このあたりを通過する大きな道はまだ存在しない。その代わり玉川上水がまだあるので、そこは通過できない。必ず橋を通るはずである
  • 実は、東京朝顔園行きのバスは東京朝顔園そのものには行っておらず、近くのどこかまでしか運行していなかった可能性も考慮する必要があるか?

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