2020年08月26日
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笹塚の水路跡の再調査・矛盾した情報をどう捉える?

Written By: 川俣 晶連絡先

 環七付近の環七東側の水路跡について少し調べています。

水路跡の発見 §

 以下を偶然発見して水路跡ではないかと推定しました。

 この延長線上に例のこれがあります。

道路をまたぐ水路跡

 つまり、このままダイレクトに玉川上水に接続していたと考えればすっきり解釈できます。

 しかし、今昔マップ2で昭和22年頃の航空写真を見て引いた線は以下のようになりました。

 ぜんぜんつながっていません。

考察 §

 ここは確か甲州街道に沿って新宿方面から流れ来た流路が突然曲がって神田川笹塚支流につながっていたはずです。しかし、昭和22年頃の航空写真を見てもそうは見えません。ネットの情報も錯綜しています。

 おそらく、甲州街道、京王線、玉川上水新水路、環七という大物が次々とやってきて、相当な流路改修が繰り返されたものと思います。

 最初の流路は、おそらく流路改修の結果孤立して残った水路の残骸。

 2番目の流路は、参考にした昭和22年頃の状況を示したに過ぎないもので、それより前は全く違った流路だった可能性が高いと思います。

 このあたりは地形改修も多いようなので、高低差から元の流路を推定することも難しいかも知れません。

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