2021年04月21日
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京王帝都ハイキング特急研究【序章】

Written By: 川俣 晶連絡先

 昭和30年代前半までの京王帝都ハイキング特急について気になる。

 雑誌【新ハイキング】第7号を入手したので、昭和26年に既にハイキング特急が存在したことが確認できたのでまとめる。

  • 雑誌【新ハイキング】第7号(昭和26年5月1日)の京王帝都の広告には、ハイキング急行2本とある。日曜祭日の新宿8:25、9:25発車である。名前は【高尾號】【多摩號】である
  • 京帝だより第27号(昭和30年10月1日)にはハイキング特急が2本から3本に増強されたという記事がある。列車名は出ていない。日曜祭日の新宿9:10、9:30、9:50の発車だという
  • 京帝だより第58号(昭和33年4月1日)号にはハイキング特急として【高尾】【野猿峠】【多摩】の3本が出ている

考察 §

  • ハイキング特急の出現は、昭和26年と昭和30年の中間であったト考えられる
  • ただし筆者の興味は、ハイキング急行でも変わらない。ハイキング急行について検討したい
  • ハイキング急行、特急を通して最初の2本の名称は【多摩】と【高尾】だったと思われる。【野猿】は3本目である
  • WikiPediaには【1949年(昭和24年)9月27日 新宿駅 - 調布駅間で急行列車の運行を開始する(京王史上初の優等列車運行開始)。】と書かれている。この記述が正しければ、ハイキング急行の出現はこれ以後である
  • つまり、ハイキング急行が最初に登場したのは昭和24年から26年までの間と考えられる。今後、より精度の高い資料が得られれば良いなあ。しかし、わずか2年程度の範囲内に始まりの時期を追い込めたのは驚きだ
  • 京帝だよりは、昭和28年8月以降らしく、本件ではあまり役に立ちそうもない

2021/04/22追記 §

 ハイキング急行は、2600型より前の旧型車の時代から存在したようだ。ヘッドマークを手すりに縛り付けて運転したという記述もあった。写真が残っていないかなあ。

参考 §

 リスト中2つの京帝だよりの情報は以下の書籍に掲載したもの。

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