読むところが少ないと感想もすぐ書けて便利ですね。
トニたけはどこだ!? §
トニたけを楽しみに、(すなわち大変失礼ながら、他のほとんどの漫画を楽しみにせず)、ガンダムエースを買っているわけですから、最初にやることは決まっています。ぺらぺらとめくって、トニたけのページを探すことです。
しかし、見つかりません。
慌てて目次を見て、トニたけの漫画を探します。
ところが見つかりません。
今月号には載っていないのか、と思いつつ表紙を見ると、しっかりトニーたけざきの名前が。
では、ぎりぎりで原稿を落としたのだろうかとも思いましたが、お詫びの文章も見あたらず、その解釈もしっくり来ません。
そこで、もう一度、じっくり目次を見ると。漫画ではないページのリストに、トニーたけざきの名前が。慌てて開いてみると、前号のジオラマ漫画についての解説が2ページに渡って書かれていました。つまり、ガンダム漫画本編はお休みということですね。がっくしです。
とはいえ、こんな方法で実現したという種明かしは興味深いところがあります。
オリジンは…… §
ウッディがアムロに語る台詞に、ちょっとアニメ版にはないニュアンスのようなものを感じました。そこが、ちょっと面白いところでしょうか。
それから、薬を捨ててしまうセイラさんのシーンも、どこかダークな雰囲気がありますね。
ZZに対する前向きな評価 §
過去のガンダムについて解説する連載ですが。
ZZを肯定的に前向きに評価する結末になっているのは、とても良かったと思います。あの当時、まだお子様だった私もZZを見ましたが、あれは納得できる終わり方の作品で、好感を持ちました。Zの、主人公の心がどこかに行ってしまうような終わり方よりも、遙かに希望の持てるものです。
ついでに言えば、初期オープニングの「アニメじゃない」も好きな歌です。音楽的にも良いですが、歌詞もとても含蓄があって、実に味わい深いものです。アニメの主題歌にあえて「アニメじゃない」と名づける逆説に、はたしてどのような意味があるのか、それを考える人が少ないのは作り手の意識に見る側が対応できていなかった事例かもしれません。
ちなみに、最近は「あえて」が通じない、という嘆き、あるいは問題提起が、大塚英志さんの本などで見られたりすることと関係があるのか無いのか。
余談ですが、私の書く文章にも、そういう「あえて」が直接、あるいは間接的に含まれている場合があります。そのニュアンスが、全く顧みられないケースがしばしば見られます。しかし、それじゃ人生が面白くないでしょう? たとえば、何かを長々と解説しながら、そんなものに価値はないと結論した文章を私が書いたとします。その場合、本当に価値がないと字義通り受け取って良いと思いますか? 本当に価値がないものなら、解説などする手間を使うわけがない、という常識を挟み込んで、そのままスルーさせないことに意味があるケースもあるとは思いませんか?