2003年06月08日
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私はLinuxの味方ではありません……といってもWindows信者だからではありません

Written By: 川俣 晶連絡先

 OSを巡る暗黒の混迷……。

 これについて、いくつかのトピックがあるので、それは順次書いていかねばならないでしょう。

 今回のテーマは、「私はLinuxの味方ではありません」という話です。

 それに関して、「分かってない」とか、「Windows信者」などと呼ばれることがありますが、それは非常に現実からかけ離れた話なのです。おそらく、きちんと説明しない限り、理解されることはないだろうと思いますから、一度は書いておく必要があるのでしょう。

 時間的な経過順で行くと。

 1980年代の段階では、私はUNIXに憧れるミーハーでした。しかし、現実にはUNIXを稼働させるコストを負担することはできずに、ずっとMS-DOSを使用していました。

 とはいえ、MS-DOSで満足していた訳ではなく、いろいろなことをやりました。その1つとして、MINIXの本も翻訳が出ると買い求めました。しかし、実用OSとして見た場合のMINIXはいろいろな意味で頼りない代物で、面白かったけれど、使い物にはなりませんでした。だから、リーナス氏がMINIXへの不満からLinuxを作り始めたと伝えられる心情は良く分かります。厳密に言うと、私が見たMINIXは16bitのものですが、リーナス氏が問題にしたのは386用の32bit版だったようで、同じではありませんが。何となく、心情的にはリーナス氏の気持ちが分かるような気がします。(分かっている、とは言いません。念のため)

 さて、1990年代に入ってDOS/Vブームの時代になると、それと平行して、4.4BSDや386BSDやYggdrasil LinuxなどのCD-ROMがマニア向けDOS/Vショップに入荷したりするようになりました。その頃の風潮として、マイクロソフトは駄目で、通でモノの分かるマニアはOS/2を支持する、というものがありました。Linuxといっても、ほんの一握りの者達しか知らず、違いの分かる通はOS/2を選ぶのだという風潮は確かにあったように思います。

 そして、その頃から既に私はOS/2に見切りを付けていました。この話題はいずれ書くかも知れませんが、ともかくメーカーが言うとおりのことが実現されていない事例がいくつも見られて、とても安心して使えないと思ったためです。かといって、当時勢いのあったMacintoshもあてにするには脆弱すぎました。じゃあ、当時主流のWindows 3.1と近未来に来るはずであったChicago(Windows 95)を支持したかというと、それも違います。それも、あまりに問題を抱えたソフトであることが見えていたからです。

 その結果、その当時の私の結論は、本命がWindows NTで、それが失敗した場合の保険はFreeBSDかLinux、というものでした。そのように主張しても、当時は理解されないことの方が圧倒的に多かったと思います。そもそもWindows 3.1よりもOS/2の方が良い点を列挙できるマニアは多かったのですが、Windows NTが何であるかも分かっていない者が多く、ましてFreeBSDやLinuxという名前に至っては、何が何やら……という感じの人達が多数派だったように思います。

 その頃は、Windows NT 3.1の開発途上の初期バージョンも動かしましたが、それだけでなく、Yggdrasil Linuxもテスト的に動かしていました。しかし、Yggdrasil Linuxも酷い代物で、手軽にFDとCD-ROMから起動してRAMディスクで体験できるのは良いものの、HDDにインストールすると多数のリンクがCD-ROMを参照し続けて、それを手動でいちいち解除してやっと動かしたような記憶があります。間違いなく、Yggdrasil Linuxは、誰でも安心して確実に使えるOSではなかったと思います。もっとも、ソースを読んで自力で何とかする利用者には面白いものだったと思いますが。膨大なソースはある種の宝の山だったのは事実でしょう。

 さて、時代は下って。

 1990年代後半、インターネットのブームというものが来たわけで、我が社もインターネットのサーバを持とうかと言うことになりました。最初はWindows NT 3.51のサーバパソコンに、NetscapeのWebサーバやメールサーバのソフトをインストールして使ってみました。しかし、あまりに問題が多いので、余った古いパソコンにSlackware Linux(バージョン2ぐらいだと思う)を入れて使ってみたところ、あら不思議、あらゆる問題が解決してしまったではありませんか。Slackware Linuxと、それで動くsendmail、bind、apache。それで圧倒的に優れた結果を得られたのです。

 それが分かると、Slackware Linuxサーバは増殖を始めました。最盛期には同時に3台動いていたような気がします。

 それと同時に、FreeBSDも気になったので、別途1台のFreeBSDサーバも立ち上げました。

 それ以後しばらく、FreeBSDとLinuxを同時並行して使った結果、希にLinuxサーバでは理解不能の状態が発生したが、FreeBSDでは起きなかったという結論が出ました。その結果として、私はFreeBSDの方がLinuxよりもやや優秀という結論を下しました。周囲のマニアックな人達も、Linuxというと「本当にそれ使えるの?」という顔をしてFreeBSDの方が良いと言ったこともありましたので、私としてはFreeBSDを採用することにためらいはありませんでした。

 最終的に、2000年問題対策の時に、多くの旧型機を使ったサーバが(マザーボードのBIOSの都合で)2000年を超えられないと分かり、サーバのハードを置き換えることになり、それを機会にLinuxは全て私の管理下のサーバから消えました。

 その後、FreeBSDを選んだことを特に後悔することはありません。むしろ、Linux関係で確かな知識に裏打ちされていないあやふやな言動をする人達を見る機会があるごとに、Linuxを避けておいて良かったと思うようになりました。私自身、リーナス氏は見識のある立派な人だと思いますが、Linuxでお金儲けをしようとしている人達や、過剰にLinuxに入れ込み過ぎてるマニアを見ると、彼らが立派であるとは思えません。もちろん、私が立派な人間であるとは言いませんけどね。

 というわけで、この文章の結論です。

 私はLinuxの味方ではありません。それはWindows信者だからではありません。私はFreeBSDユーザーだからです。Linuxには、FreeBSDからあえて乗り換えるだけの魅力がない。それがLinuxの味方ではない理由です。

 余談ですが。LinuxとFreeBSDを見比べて思ったことを最後に書き足しておきます。

 Linuxユーザーは、愚鈍なWindowsより優れたLinuxが普及しないのはなぜだろうと思っているかも知れませんが、BSD方面の立場から見ると、愚鈍なLinuxより優れたBSDが普及しないのはなぜだろうと思っているかもしれませんね。私はBSD方面ではないから、何も確実なことは言えませんが。OSの優秀さとは常に相対的なものであって、普及した主流のOSよりも優れたOSがあるからといって、それが最善であるかどうかは別の問題ですね。どんなOSを持ち出したところで、世の中にはもっと上がある可能性を常に考えるべきです。つまり、FreeBSDが最高と思うのは、それも甘いよ、ということです。

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