2003年07月31日
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「諦めない」という創作手法

Written By: 遠野秋彦連絡先

 やは、遠野だ。

 最近、小説に手を付ける時間が全くない。これはほとんど作家であることが余技であるような兼業作家の抱える宿命的な問題と言えるかもしれない。

 とはいえ、小説を構築する作業にまったく手を付けていないのかというと、そうでもない。今、頭の中には、さる小説のイメージが浮かび始めている。それは頭の中で練り上げていかねばならない段階のものだ。文字をキーボードから叩き込む段階ではない。そういう意味で、手は動かしていないが、何かの作業は進行していると言える。

 では何が進行しているのか。

 イーネマス!( https://www.piedey.co.jp/pub/index.html#B102030010 )と同じ世界を用いた別の小説が有り得ることは、遠野秋彦ロングインタビュー2002( https://www.piedey.co.jp/pub/index.html#B102030005 )で既に述べている。というより、ラマ帝国の建国に関する物語は、アーサー王がノアグ王国の中興の祖になる話よりも先に構想されたものであって、本来はそれが先に書かれるべきものだったと言える。本来、ラマ帝国建国の物語こそが、火星の地底世界イーネマスを巡る物語の本編であり、アーサー王の話は番外編に過ぎないはずだったのである。しかし、アーサー王の話は相当なボリュームのある話として書き切られ、イーネマスを巡る作品で書きたいことはおおむね書き尽くしてしまったわけである。

 しかし、その時点で書きたいことを書き尽くしたということと、もう書くことがないことはイコールではない。やはり、まだ書くべきことは残っている。違うことを書けば、もう1つの異なる話は容易に成立しうるのである。だが、ラマ帝国を建国する経緯の粗筋はすでにイーネマス!のエピローグに書かれており、今更それを変更することはできない。そして、ラマ帝国を建国する物語は、イーネマス!と同様に、20世紀からやってきた二人組で、一人は男、もう一人は、男でありながら新しい世界で女性の身体をもらう、ということまで変更できない枠組みとなってしまっているのである。その結果、主役の二人が、イーネマス!と、新しく書かれるべき話で同じパターンに陥ってしまい、違いを出しにくくなっていたのである。これが、この新しい小説に取り組む際の最大の障害となっていた。

 その状況が変化し始めたのはごく最近のことである。それは、20世紀から転成する際に女性の身体を望んだマリ・リーンというキャラクターの内面的な部分に関するインスピレーション、あるいは、論理的な帰結からもたらされた変化である。マリとラマの二人組は、ラマ帝国を建国する。それはもう、イーネマス!のエピローグに書かれた変えられない歴史である。では、この二人は、どうして広大なイーネマス世界の中央大陸ケトスで、大帝国を建国するなどという大それた事業を達成できたのだろうか。その精神的、内面的な理由は何だろうか。それができたということは、何かとてつもなく大きな心理的な必然性が無くてはならない。そこから逆算して考えていくと、新しい小説の二人組は、イーネマス!の二人組とは絶対に同じようなキャラクター性の持ち主にはならないのである。

 そこで、チャイナドレスの似合う美女、マリ・リーンの内面性が徐々に明らかになり、それが作家の頭の中に染み込んできたのである。彼女はただの美女ではない。イーネマス!における美女、ナーユは、我が身を犠牲にして恩に報いたり、律儀で誠実な面を持つ美女であったが、マリはそういうタイプではあり得ない。マリは自分自身が欲しいものを抱えている。それも、とても強く切実に抱えている。しかし、マリは単なる強欲な女ではない。もし、単なる強欲であれば、複雑精緻な軍事と外交、駆け引きと取引の絡み合う国家建設の場を乗り切れるわけがない。強い欲求を持っていると同時に、冷静な知性派であるはずだ。そこから更に考えるべきことがある。どうして、マリは自分が美女の身体を得ることを望んだのか。もし、マリが静な知性派であるならば、それには合理的な理由が無ければならない。ただ単に、女性になる願望の持ち主、というような安直な理由で女性の身体を求めたりはしないだろう。そして、その理由が更にマリのキャラクター性を深めていくことになる。

 マリのキャラクターが固まってくれば、自然と、彼女の相棒、ラマのキャラクターも見えてくる。

 具体的に二人のキャラクターがどう固まってきたかは、ここでは書かない。それは、小説という形の中で、いずれ、最も効果的な言葉を用いて書かれるだろう。それに、まだ完全に固まったわけではない。まだまだ変更されうるものなのだ。

 それよりもここで重要なことは、諦めないということが、勝つための手段になり得るということだ。実際、イーネマス!も、ずっとうまく書くことができなかったが、諦めないことで最後には作品を成立させることができた。そして、新しいラマ帝国建国の話も、同じように、諦めないことで光明が見えてきたところだ。

 そう。「諦めない」という創作手法もある。

 そんな風に思ってみた夏の夜……。

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