今頃になって、やっと半熟英雄 対 3Dのエンディングを迎えました。
夏に発売のゲームですから、長かったです。
時間がないので、こんなペースでしかゲームはプレイできません。
しかし、こんなペースでも、エンディングを迎えられたというのは、逆に言えば、時間を掛けてでもエンディングまでやりたいと思わせる傑作であるという証拠になります。つまらなければ、途中で棄ててしまいますから。
というわけで、このゲームがいかに名作であるかということを、少し書いてみます。
意外性と計画性のバランス §
このゲームの最大の魅力を一言で言えば、意外性と計画性のバランスだと思います。ここで、意外性というのは、完全にプレイヤーが予測できない領域のことです。たとえば、普通のRPGなら、攻撃を行ったときに回避されるか当たるか、事前に分からないことが一種の意外性です。その反対を計画性と呼ぶことにします。事前に全ての先の展開を読んで、最適な行動を計画できる状況を言います。たとえば、RPGなら、特定のアイテムを使うことで確実に倒すことが出来るモンスターとの戦闘は計画性100%の状況であると言えます。
このゲームの場合、意外性の要素がより多く含まれていて、そこが面白さの源泉になっている感じがします。しかし、計画性の要素がないわけではなく、きちんと計画を立ててプレイしないと、簡単に上手く行ったりはしません。このバランスの良さが、とても良いですね。
具体的に意外性について書くなら。エッグモンスターの召喚によって、何が出てくるか、完全には分かりません。そして、エッグモンスターの中には、どうしようもなく使えないものもあります。地球ちゃんのように、極めて個性が強く使いこなすのが難しいものもあります。
城の防衛時の奥の手も、デメリットしかない選択肢があって、しかも、ランダムに3つの候補が出された後、キャンセルはできません。もし、3つとも、デメリット系の奥の手であった場合でも、どれかを選ばなくてはなりません。
そういう意外性満点の状況に、逐一対処し、決断しながらプレイしていくスリリングさは、とても面白いと思います。
かといって、スリリングさに酔っているだけでは勝てません。どの部隊をどう動かして敵城を攻略していくか、きちんとした戦略指向で計画も立てねばなりません。これも、よく考えて取り組まねばなりません。全方位的に実に楽しめます。
ボスキャラの嘆き §
3D軍団のボスキャラを倒した後の彼の嘆きが、とても心を打ちますね。彼も、最初は2Dキャラであったのに、技術の進歩に応じて、凄い3Dキャラになってしまったわけです。しかし、それで何かを忘れてしまったのではないか。2Dキャラのままであるべきだったのではないか。そんな訴えは、技術だけ凄くなってイマイチ燃えられないゲームの多い最近の状況に嘆くトーノの気持ちにひしひしと、届いてきます。ゲームを作る側に、こういう気持ちを持った人がいるのは心強いことですね。
ランス5Dとの共通点? §
意外性と計画性のバランスという点では、ランス5Dと近いものがあると感じました。このゲームも、次に可能な行動をルーレットで決めるという点で、非常に意外性の高いものであると同時に、きちんと計画を立てて取り組まないとラスボスを倒してエンディングを迎えられないところがあります。
そして、変なノリも、共通しているように感じられます。
指圧マスターのようなキャラが半熟のエッグモンスターにいても、それはそれで違和感がないような気がします。
伝説のオウガバトルとの非共通点 §
複数の部隊がマップ上をリアルタイムで移動し、接触すると戦闘が発生するシステムは、伝説のオウガバトルと似ています。
伝説のオウガバトルは人気が高く、スーパーファミコン版を人に勧められてやったことがありますが、個人的にこれは駄目だと思いました。たとえば、戦闘が発生して、それが終了した後に設定を変えようとして設定作業中に別の部隊が接触すると戦闘が発生して、作業は強制中断されます。こんなことが3回ぐらい連続して発生して設定が完了できないまま放置された部隊がいくつも出来たりすると、かなりストレスが溜まってぶち切れてきます。そういう部分で、伝説のオウガバトルはプレイアビリティに問題があり、けして好ましいゲームではないと思っています。
しかし、半熟では、似たようなシステムではありますが、よりゆとりが大きく、シビアなプレイが要求されないため、あまりストレスになりません。多数の部隊が動く終盤になってくると、切り札を補充している途中で別の戦闘が割り込んだりしますが、全体としてのゆとりが大きいので、致命的に気分を壊すところまでは行かない感じです。
特に、伝説のオウガバトルの場合は、経験値偏りや、大きなゲージの動きなど、きめ細かく様々な調整を必用とするのに対して、このゲームは将軍の経験値もなく、あまりシビアに数値を睨むプレイが必用とされない点が良いと思います。それによって、非常にプレイしやすくなっています。プレイしやすいですが、戦略性が低いわけではありません。
どうでもいい余談ですが。伝説のオウガバトルで、敵部隊が少しずつマップ上を移動して迫ってくる感じと、花火が打ち上がる描写は、私が好きなエルファリアというゲームに似ています。こういうエルファリアのパクリっぽいところも、伝説のオウガバトルにイマイチ好感が持てなかった理由の1つではあります。まあ、こういう表現を最初にやったのがエルファリアかどうか分からないので、強く断言するものではありませんが。
そうえいば、このゲームも、敵部隊が少しずつマップ上を移動して迫って来て、しかもエンディングは花火……。しかし、全く印象が違う感じで表現されているので、特に不満はありません。
ゲームに求めるもの、足りないもの §
このゲームで最も印象に残るのは、超絶ヒロインの「あたし(ハート)」でしょう。こんなヒロインでゲームを成立させてしまうセンスが素晴らしいですね。実際には、「あたし(ハート)」の妹はちゃんとした美少女だし、敵の将軍や兵士にも可愛い女の子は出てきます。そういう意味で、色気を我慢する必用は全くありません。女の子目当てでも遊べます。それにも関わらず、このような自称ヒロインがドーンと全面に出てくるところが、素晴らしいセンスですね。なんだこりゃ、と思いつつ、そのインパクトに引っ張られてゲーム世界に入っていける感じでしょうか。こういう、力強くとんでもないもので、プレイヤーをゲーム世界の中に引っ張り込んでいく力が、最近のゲームには欠けているような感じがします。
安易な秩序の破壊者、非日常を仮想体験させてくれるものが、いわゆる「ゲーム」なのであって、日常化した仮想現実など面白くも何ともない、と言えるかも知れません。
これは名作だ。しかし…… §
というわけで、やり終えて結論しますが、半熟英雄 対 3Dは名作と呼ぶに値するゲームだと思います。
しかし、インターネットを検索しても、あまりこのゲームのサイトには突き当たりません。この面白さを受け止められなくなっているあたりに、ゲーム界の滅びの空気を感じます (それが本当かどうかは分かりませんが)。もしかしたら、現状を肯定し、あえてそれを壊して行くことは必要ないと、みんなは思っているのかも知れません。しかし、現状維持とは滅びの道の同義語かもしれません。
トーノとしては、滅びるべきものなら滅びても良いと思いますが、こんなゲームを見せられては、安易に滅びを許容できるものではありません。
戦え、半熟英雄(のスタッフ達)。今こそタマゴを割るときだ!