2004年04月16日
川俣晶の縁側過去形 本の虫感想編 total 4066 count

豆腐小僧双六道中ふりだし 京極夏彦 講談社

Written By: 川俣 晶連絡先

 やっと読み終わりました。

 これは凄く面白いです。

 ただ単に盆に載せた豆腐を持って立っているだけで、何もしないという間抜けな妖怪「豆腐小僧」。それを主人公にして、こんなにも面白い話が可能であるとは。しかも、この結末。ネタバレになるので書きませんが、最後の最後に豆腐小僧に与えられる役割の意外性。

 しかし、小説としての面白さの他に、私にとって極めて重要なポイントがありました。

 それは、私が立脚している知的な立場を理解するための、とても親切で分かりやすい入門書として使うに値する内容を持っていると言うことです。

妖怪は実在するか、しないのか、という問いかけの無意味さ §

 妖怪ではなく、UFOでも幽霊でも霊魂でも、何でも良いのですが。そういうものが実在するかどうか、という議論が起こることが良くあります。

 しかし、そんな議論は全くの無意味であると思います。

 それらは、あるけれど、無いものなのです。そのことは、この本の中で、実によく説明されています。

 このような立場は、今の私の立場と共通するものです。

 たとえば、オープンソースは正しいか、バザール方式は正しいか、Javaは正しいか、Macintoshは正しいか、といった議論は今の私にとっては全く意味がありません。それらに対して、正しいか正しくないか、白黒はっきり付けることに、全くの魅力を感じませんし、おそらくそれは無意味です。

 たとえばオープンソースが正しいかと言えば、明らかに正しくありません。そんなものは、目の前にあるありのままを見れば誰だって理解できるだろう、と思うぐらい当たり前のことで、それ自体が議論になるようなものではないと思います。しかし、一方で、オープンソースは正しいものであるという主張が行われ、それを説得力を持って受け入れる無視できないほど多くの人達が存在します。彼らの中で、オープンソースは正しいものであって、それは疑いようもない確かなものになっています。ここで、どちらが正しいのか白黒を付けるために激論を戦わせることは、全くの無意味だと思います。そんなことは、時間と思考力の無駄遣いでしかないと思います。つまり、それは、正しくなく、同時に正しいものなのです。

 そのような状況を当たり前の是として、それを目標とするのではなく、単なる前提の1つとして話を始めることができる人だけが、とりあえす私と真面目な議論をする土俵に上がれます。意見が私と一致するかどうかは別として、同じ土俵の上で話ができます。逆に言えば、意見が合うか合わないかという以前に、そもそも土俵にすらあがって来てくれない人ばかりだった、というのがこれまでの状況です

しかし優れた入門書は現れた §

 とりあえず、私と議論をしたい人は、この本を読んで下さい。

 もちろん、読んだからと言って、それで確実に土俵に上がれると言うわけではありません。適切な問題意識を常日頃から持っていないと、読んでもさっぱり分からないという可能性もあります。しかし、この本が、土俵に上がり得る可能性を最大化するための良書であるという評価を下したことに間違いはありません。他にも、土俵に上がり得る可能性を高める本が無いわけではありませんが、読みやすさ、分かりやすさという点であまりお勧めできません。そもそも読みにくさ、分かりにくさによって、本を読むという試みが挫折しかねません。その点で、本書はとても良質です。

妖怪はミームの一種である §

 前にミームの話を書きましたが、そのコンテンツで定義したミームと、本書の妖怪は非常に似通った性質のものだと思います。妖怪は、ミームの一種である、という理解を行っても良いと思います。

 おそらく、とても分かりにくいミームなるものを理解するために、本書を読んでみることも価値があるでしょう。

 そして、ミームが何かを把握し、ミームの持つ価値について意識を持つことが、私と真面目な議論を行う上での必須条件であるとも言えます。つまり、私の書く文章はしばしばそのような概念の上に展開されており、それを把握せずに文章を読むことは、書き手の意図をミスリードする可能性が高いと言うことです。ミスリードされると、議論が成立しません。しばしば誤解している人を見ますが、私の書いたものに反論を付けるなら、まず私が何を書いているかを把握しなければなりません。読者の権利として、読んでも分からなければ、「分からないぞ」と文句を付けることができます。それは、何が書かれているか把握しているかどうかに関係なく、文句を付けることができます。しかし、反論はそれとは違います。

話は本の感想に戻ると §

 本の感想に戻ります。

 本書の最後の盛り上がりは凄いものがありますね。予想外にスカッとさせられました。

 しかも、最後に書かれた文字は「完」ではなく「了」です。まだ続きがあると言うことでしょうか。とても楽しみですね。

 それにしても、本書で何が痛快かと言えば、江戸時代の、それも妖怪という古めかしいものを題材にしていながら、ベースとなる思想はとても新しいことです。ネット上にしばしば見られる知識量と頭の回転の速さを振りかざす若い論客達が、新しい題材について論じていながら、ベースとなる思想が極めて硬直的で古かったりするのと比較して、実に面白いことです。

2004年9月18日追記 §

 メモに豆腐小僧508pと書いてあって、気になってしょうがないので、ここに記録してメモから抹消しておくことにします。

 この本の508ページでは、秋葉原に対する言及があります。秋葉権現ゆかりの聖地という説明ですが、それと同時に、「現在もある意味で聖地ではございますが」と書かれている部分がちょっと面白くてメモっていたわけですね。

 あくまで江戸時代の話であり、そういう時代の語り口でありながら、さらっとこういう遊び心が入ってくるところが素晴らしいですね。

 それにしても、この本は非常に重要であり、読む価値はとても高いと言うことを折に触れて強調しているつもりですが、読もうという人がほとんど出ないのはどういうことなのか。悩ましい問題です。