2005年01月07日
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千尋、ハウル、舞-HiMEそして、あやかし堂のホウライ、新しいヒーロー像か? 労働することで困難を打破する少女達!?

Written By: トーノZERO連絡先

 最近のいくつかの作品を通して、新しいヒーロー像を描けるのではないかと考えて書いてみます。

 取り上げるのは下記の作品のそれぞれのヒロインです。

 まず、宮崎駿監督のアニメーション映画「千と千尋の神隠し」の千尋。

 次に、同じく宮崎駿監督のアニメーション映画「ハウルの動く城」のソフィー。

 ロボットアニメで有名なサンライズが珍しく美少女アニメを製作したとされるTVアニメ、舞-HiMEの鴇羽舞衣 (ときは まい)。

 映画でもTVアニメでもないが、コミックスとして出版された「あやかし堂のホウライ 1巻」の宮前綾香。

 以上の比較的新しい4作品4名に共通する特徴をいくつも見出させ、それが新しいヒーロー像ではないかという当てにならない話をしてみたいと思います。

労働するヒロイン §

 この4人のヒロインが共通して持つ特徴は、労働するヒロインであるということです。

 千尋は働かねば生きることが許されない世界に投げ込まれ、油屋の下っ端としてこき使われます。

 ソフィーは掃除婦であると言い張ることでハウルの城に住み込むことに成功し、事実掃除婦としてまめに労働します。

 鴇羽舞衣は両親不在の状態で弟に手術を受けさせるために、高校生でありながら自分のためではない地道なバイト労働を続けます。クラスメートが遊んでいる時にも働きます。

 宮前綾香も12歳の小学生ながら、両親不在の状況で弟と共に生きるために、子供可、住み込み可という求人ポスターに応募し、彩貸堂で掃除などの雑用労働や妖怪退治の手伝いなどを行いつつ小学校に通います。

 彼女らは、未来への大きな夢など語りません。

 それよりも、目の前に横たわる冷酷な現実に立ち向かうために、文句も言わずに熱心に労働します。

要求を踏み越えるヒロイン §

 この4人のヒロインは、単に労働するだけではありません。

 自分の判断で労働の範囲を踏み越えていきます。

 千尋は、誰に要求されたわけでもないのに、お腐れ神に足し湯をしようとします。

 ソフィーは、要求されたわけでもないのに、城の模様替えを実行します。

 宮前綾香は、採用テストで、ただ見ているだけで良い、とされていたのに積極的に妖怪に襲われる人間を助けようと自分から飛び出していきます。

 鴇羽舞衣は、バイト中に要求を踏み越えていく描写はあまり見られませんが、奨学金と引き替えにHiMEと呼ばれる戦う資質を使って戦うことも一種の労働であるとすれば、それに類する描写が見られます。彼女は、奨学金と引き替えではないと言いつつも戦えと求める理事長の要求を受け入れません。しかし自分の判断で戦うべき時には戦います。

 これらを通して言えることは、彼女らの行動原理にある「労働」というのは、言われたことを言われた通りにすることではない、ということです。積極的かつ前向きに行われる創造的な行為としての労働がそこに見て取れます。

 それは労働が持つ本来のあるべき姿であるとも言えます。

男の子とヒロイン §

 この4人のヒロインに共通するのは、庇護下に可愛いタイプの年下の男の子が存在することです。

 千尋には湯婆婆の子、坊が。

 ソフィーにはハウルの弟子、マルクルが。

 鴇羽舞衣には弟の鴇羽巧海が。

 宮前綾香には弟の宮前タケシがいます。

 この共通点は後から気付きました。他にも別の共通点があるかも?

引き連れるヒロイン §

 この4人にヒロインは、いずれも関係のない者達から好かれ、彼らが自発的に付いてくるという共通点があります。

 千尋は湯屋を出る際に、カオナシ、坊、湯バードを引き連れていきます。

 ソフィーは、王宮から脱出する際に、魔力を奪われた荒地の魔女、犬のフィンを引き連れていきます。

 鴇羽舞衣は、猫のような少女、美袋命になつかれて連れて歩くことになります。

 宮前綾香は、明確に誰かを引き連れて歩くという状況には発展しませんが、クラスメートの四位名さんなどから、一緒にいたいという好意を勝ち取っています。引き連れるという行為の本質が、可能性と希望を見出して身近にいたいという好意を抱くことであれば、これも本質的に同じカテゴリに分類しても良いように思います。宮前綾香は妖怪退治以外での物理的な移動距離がほとんど無いので、引き連れて移動する描写に発展しないのだと言えるかも知れません。

乗り越えるべき老婆 §

 この4人にヒロインは、いずれも乗り越えるべき老婆がいます。

 千尋には湯婆婆が。

 ソフィーにはサリマンが。

 宮前綾香にはカスミが。

 鴇羽舞衣だけは明瞭な老婆がいません。しかし、まだ年若い子供である理事長も、車椅子生活の中で精神的に老婆のような存在に成り果てていると考えるなら、これも鴇羽舞衣が乗り越えるべき一種の老婆と見ることができるでしょう。

回復される絆 §

 そして、この4人が共通して果たした役割とは、孤立した寂しい人間達に絆を復元することであったと言えます。

 千尋は、カオナシに銭婆という同居する相手を与え、湯婆婆に囲い込まれていた坊を広い社会に解き放ち他の者達と結びつくチャンスを与えます。

 ソフィーは、赤の他人であったはずのハウル、マルクル、荒地の魔女らと家族であるかのような密接に結び付いた空間を作り出します。

 鴇羽舞衣は、当初は孤立して激しく戦っていた玖我なつきや美袋命を和解させ、信頼と協調の関係に作り替えます。

 宮前綾香は、誰も信じない孤独な存在であるホウライに、人の絆の価値を思い出させます。

新しいヒーロー像とは §

 「大きな物語」が失われた状況でのヒーローとは何か、というのは大きな問題と言えますが。

 個性やプライバシーを無二の素晴らしい価値と褒め称える最近の日本の社会風潮に逆に絡め取られて身動きができなくなった者達からすれば、この状況から解放してくれる者こそが憧れるべきヒーローでしょう。

 つまりは、人と人との絆を回復してくれる者こそが、現在の日本の社会状況に対応する1つのヒーロー像と言うわけです。人は誰も一人では生きていけず、他人を必要とする生き物です。他人との絆を回復することは、人を救う行為になります。

 それは労働を通じて得た身体性に立脚するリアリティによって、抽象的な理屈、理想論を打破していくプロセスとも言えます。

 以上の話は単なる思いつきなので、正しいかどうかは分かりません。むしろ正しくないと思って読んだ方が良いでしょう。