君は知っているか。
美しく可愛く献身的な少女達からなるメイド達。
そして彼女らのご主人様となるオターク族。
その2種類の住人しか存在しない夢の中の世界を。
ある者は、桃源郷と呼び。
またある者は、狡猾なる悪魔の誘惑に満ちた監獄と呼ぶ。
それは、どこにも存在しないナルランド。
住人達がボックスマン・スーフィーアと呼ぶ世界。
そして、悪魔と取引したたった一人の男によって生み出された世界。
前回のあらすじ §
初めてのご主人様との出会いの夜。地方のメイド出会いセンターの控え室には、多くの初々しいメイド達が集まっていた。だが、屋外からは、「むぉえぇーーーーー」と叫ぶ不気味な低い声が聞こえてきていた。
はたして、その声の主は何者なのか。メイド達を迎えに来たのは彼らなのか。運の悪い出会いセンターには、ご主人様ではなく、箱を頭に被った気持ちの悪い怪物がやって来てメイド達を連れ去るという噂は本当なのか!?
第2話より続く...
第3話『君よ、萌えとなりたまえ!』 §
控え室のドアが開く音がした。
それはとても小さな音であったが、室内のメイド達は全員がそれに反応してドアに注目した。
入ってきたのは、メイの教育担当メイドの、メイン・ティーと、おそらくは同じ立場の数名の年配メイドだった。
ティーは若いメイド達の視線を一身に浴びて、驚いたようだった。
しかし、そこは年の功というものだろう。
振り返って同じ立場のメイド達の顔を見て、彼女らも同様に戸惑っていると知ると、ゆっくりと微笑んだ。
「私たちに、何かありまして?」とティーは言った。
「い、いえ、その……」とメイド達は恥ずかしげに視線を外した。
「そうそう」とティーは言った。「皆さんがお待ちかねのご主人様達が、続々、この出会いの場に到着しつつあります。これからが、いよいよ人生で初めてご主人様と出会う大切な時です。けして、粗相の無いように。最高の自分をアピールできるように心がけるのですよ」
違う……。メイは思った。みんなが思っているのは、そういうことではない。
「あの、メイン・ティー」とメイは言った。
「なんです、メイン・メイ」とティーはうなずいた。
「来ているのは本当のご主人様ですか?」とメイは質問した。
ティーはそれを聞いて眉をひそめた。
メイは思い切って言ってみた。「もしや、ご主人様ではなく、怪物が来ているのではありませんか?」
「怪物? いったい、どんな怪物がこの世界にいるというのです?」とティーは険しい表情で言った。
「低い声で、こう、むぉえぇーと叫ぶ……」
ティーはプッと吹き出すように笑った。他の年配メイド達も同様に笑った。
メイと若いメイド達は、戸惑うように顔を見合わせた。なぜ彼女らが笑っているのか理解できなかったからだ。
「こともあろうに」とティーは腹を押さえながら言った。「ご主人様の声を、怪物ですって……」
「ちょっと待って下さい。あれがご主人様の声なのですか?」と誰かが叫んだ。
「そうですよ」と年配メイドの一人が答えた。
「でも、あの、むぉえぇーというのは、とても人間の言葉には思えません!」と別の若いメイドがか細い声で訴えた。
「あれは、萌え、というとても大切な言葉です」とティーが答えた。「ご主人様達にとって、いえ、このボックスマン・スーフィーア世界で最も価値のある言葉です」
「ティーさん、それはまだ……」とティーの脇の年配メイドが心配げに言った。
「大丈夫です」とティーは小声で答えた。「ご主人様の口から発せられた萌えという言葉を彼女たちは既に聞いているのです。今から萌えについて説明しても、タブーを破ることにはなりません」
「そ、それはどういう意味ですか!」とメイは話に割り込んだ。「萌えというのは、私たちに教えてはならない言葉だったのですか?」
「ええ、そうです」とティーはうなずいた。「ご主人様となるオターク族の要望により、ご主人様と出会う前のメイド達に伝えてはならない情報というものがいくつかあります。萌えもその1つです」
「いったい、萌えって何なのですか? なぜ秘密にする必要があるのですか?」
「それは、萌えがこの世界で最も大切な言葉だからです」とティーはうなずいた。「そして、メイド達は、メイドだけでその言葉を解釈しようとするととても高い確率で誤解すると言います。萌えとは、オターク族の言葉であって、その真の意味はオターク族にしか分かりません」
ティーはそこで言葉を切って室内を見まわした。
若いメイド達は固唾を呑んで、ティーの次の言葉を待っていた。
「萌えとは、オターク族が求める究極的な目標であり、それを獲得するために、このボックスマン・スーフィーア世界はあります。そして、この世界にメイドが存在するのは、それがオターク族にとっての萌えになりうるからです。そう、皆さんは」
そこで、ティーは自分に注目する若いメイド達をゆっくりと見まわした。
そして続けた。
「皆さんは、オターク族の萌えにならねばなりません」
萌えになる……。
メイは混乱した。
これまで、自分はメイドになるものだとばかり思っていた。それなのに、萌えになれとは……。いったい何がどうなっているのか、メイは頭の中がグルグル回り始める思いだった。
第4話『初々しいメイド達と頭に箱をかぶった怪物』へ続く....
(遠野秋彦・作 ©2005 TOHNO, Akihiko)
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