2005年03月07日
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赤松健とクリエイション論 最終回 「将来について」

Written By: 遠野秋彦連絡先

将来について §

 狭義のクリエイターと、そうではない者を識別することは難しい。

 誰でも、3つぐらいはオリジナリティがあると認められる作品を生み出せるだろう。

 狭義のクリエイターとは、「3つぐらい」を超えてオリジナリティのある作品を生み出せる才能である、と言い換えても問題はないだろう。

 従って、実績が少ない新しい才能に対して外部からそれを判定するのは事実上不可能であると結論しよう。舞-HiMEの作者、すなわち原作/矢立肇の「中の人」の今後の活動に着目することで、いずれ結論は出せよう。

 もう1つ、通俗性の全面肯定という問題は、比較的容易に作品から読み取ることができるのではないかと思う。しかし、通俗の肯定が正しいか否かというのは、価値観、世界観、ポリシーの問題であるから、どちらが正しいとも言えない。通俗性をあえて否定し、貧乏でも高尚に生きることが無価値ということはない。(たとえば、拙著電子出版殺人事件に大文学者として登場する羽柴豪は、貧乏でも高尚に生きる魅力的な人物として描いたつもりである)。

 しかし、商業的成功というゴールを設定した場合には、高尚に生きようとすることはあまり肯定的な選択とは言えない。

 そのゴールを偶然に頼らず達成する選択は、たぶん1つしかない。それは最大多数の客のことを最重要に据えることである。通俗とは、「最大多数の客の嗜好」の「言い換え」と考えれば、つまりは通俗性の全面肯定につながる。

 赤松健が、いかに客のことを強く意識しているかは、上記インタビューの下記の発言から明らかだろう。

「俺の描いたこれを読者は読め」というスタンスの作家もいますけど、私はおそろしい。読者なんてすぐいなくなりますよ。だから怖いのでリサーチして、私の好きなものより、読者の好きなものを選んで「これがいいのかな?」と小動物のように慎重に考えながらやっています。怖いですよ。今にも離れそうでおそろしいです。

 恐怖を感じるほどに客を意識する赤松健の態度は、けして極端でも異常でもない。

 念のために付け加えるなら、これほどまでに客を意識しつつも、赤松健の作品はけして客に媚びてはいない。客が欲しいと口にする作品を提供するような愚を犯してはいない。そうではなく、客を本当に満たすことができる作品を作ろうとしているように見える。客本人よりも深く客を知ろうとしている、と言ったら良いだろうか。恐怖を駆動力に、それほどまでに客について考える態度が、通俗性の全面肯定を具体的に支える力となっているのかもしれない。

 舞-HiMEは、おそらくは、この点でまだネギま!の水準に達し得ていない。

 しかし、既に何作も作品を重ねてきた赤松健と比較して、舞-HiMEは彼らスタッフによって生み出されるこのタイプの作品の第1作に過ぎない。赤松健の将来像を割と明確に語りうるのに対して、舞-HiMEの将来の可能性は未知数である。つまりは、予測不可能の、とてつもない大化けの可能性もあり得る。

 この点は、楽しみに将来を見守りたいと思う。

 そして、もう1つ。

 赤松健という人物の将来も、やはり注目したいと思う。

 少なくとも、彼は、いかなる優れたアーティストであろうと、ただアーティストであるというだけでは越えられない限界を踏み越える可能性を持っていると感じる。今から言うのも縁起が悪いが、宮崎駿亡き後、この業界を支えるヒットメーカーの立場に立つ可能性は、十分にあり得ると評価したい。

 無論、それは根拠もなければ公平な評価でもないが。

目次 §

 注: 赤松健とクリエイション論には問題提起から結論に至る文脈、コンテキストがあります。つまり、それまでに行われた説明について読者は分かっているという前提で文章が組み立てられています。そのため、第1回から順を追って読まない場合、内容が理解できないか、場合によっては誤解を招く可能性があります。

表紙

赤松健とクリエイション論 第1回 「問題提起・なぜ舞-HiMEはネギま!を恐れるのか」

赤松健とクリエイション論 第2回 「第3の登場人物『宮崎駿』」

赤松健とクリエイション論 第3回 「重要な手がかりとなる赤松健インタビュー」

赤松健とクリエイション論 第4回 「組み合わせの創作法」

赤松健とクリエイション論 第5回 「新しいことにチャレンジする」

赤松健とクリエイション論 第6回 「つらいことが起こらないドラマ」

赤松健とクリエイション論 第7回 「ずば抜けた成功者の条件とは」

赤松健とクリエイション論 第8回 「『舞-HiME』は成功者の条件を満たすか?」

赤松健とクリエイション論 最終回 「将来について」