ちゃんと読んでいるわけではない、というかかなり部分的かついい加減に読んでいますが。
それでもハッとする文章に出合うので感想を書いておきます。
インターネット上では、個人宛のメールを装って無差別に大量送信される迷惑メールが流行っています。
これは、構造的には「オレオレ詐欺」と同じ構造を持っていると言えます。
つまり、「オレだよ、オレ」と言うのと同じように、まるで知り合いであるかのように手短に用件だけを述べるメールは、相手を引っかけるの十分な力を持っていることになります。
その構造を上手く表現する文章に出合いました。
斎藤環
破瓜型病跡システム「オンライン小説、あるいは文化的誤受信による三幅対」
p298
デリダ/東浩紀の示した「郵便的」、つまり「誤配送可能性」は、インターネットに至って縮減したかに見えたが、ここで浮上するのはちょうどこれと反対の問題系である。それは言ってみれば「送り手の意図いかんにかかわらず、想像的に正しい宛先に届いてしまう手紙」である。これはネット・コミュニケーションがもたらした、一つの新しい不確実性だ。「誤配送可能性」にならって言えば「誤受信可能性」とでもなろうか。
ここでポイントになるのは、あるメールが正しい宛先に届いたか否かは、受信者によってのみ決定されるという状況です。送信者がどのような意図を持って送信したのかに関係なく、受信者が、自らが受信者であるという状況を想像的に100%納得してしまうことによって、正しく受信されたことになってしまうわけです。
つまり、このようなコミュニケーションの構造が一般的かつ普遍的に存在するインターネットという場において、私信を装った欺瞞メールを無差別大量送信することは、うまみのある商売になり得るということです。なにせ、そのメールが受け入れられる条件に、送信者の意図は関係がないのですから。
このような構造がインターネット上で発生することで、逆に「オレオレ詐欺」が出現た、という可能性も示唆されます。つまり、受信者が想像的に自らが正しい受信者であると100%納得してしまう構造があることが認知されてしまった結果として、それをインターネット外で活用することも可能になったと言うことです。
これは、ここでは「誤受信可能性」と呼ばれています。
つまり、「誤受信可能性」が存在する限り、「誤受信可能性」を活用したビジネスはうまみがあり、それはいつまでも続く可能性が考えられます。そして、「誤受信可能性」を低減する方策を考えることで、この手の詐欺的行為を抑止できるのかもしれません。
いやまあ、良く分かっていないので、いい加減な結論ですが。
本書の他の感想:
感想その2『電車男とおたくは屈折した関係を持っているか?』
感想その3『大塚英志、斎藤環を二重構造の激しい言論攻撃で挑発す?』
感想その4『ああ、つまり問題の本質はそういうことであったのか!!』