2005年04月01日
トーノZEROアニメ感想舞-HiME total 3227 count

「ザンボットだよ、うん、ザンボットだ」と意味不明の言葉で可能性を噛み締める最終回!?

Written By: トーノZERO連絡先

 謎のアニメ感想家(笑)、翼の騎士トーノZEROのアニメ感想行ってみよう!

 今日の舞-HiMEの感想。

サブタイトル §

最終回「shining★days」

あらすじ §

 深優が力を発動すると、結晶の中に封じ込められていた先代のHiME、理事長が復活します。彼女の力で、HiME達の大切な人達が復活し、HiME達は元気を取り戻します。

 楯も復活し、舞衣のピンチを救いに入ります。

 舞衣と命は戦いますが、舞衣は自分の命が好きという気持ちに気付き、武装を解除して命を受け入れます。

 命は、黒曜の君と心中を図ります。

 しかし、黒曜の君は神崎黎人の身体から出て本来の姿となります。

 姫星は復活したHiME達によって破壊されます。

 黒曜の君は倒されてしまいます。

 炎は、こうならないように努力したのにあの子達はやってしまった、と嘆きます。

 HiME達の身体からあざが消え、チャイルド達も消えていきます。

 再び学園生活が始まります。

 3年生達は卒業していきます。

 巧海はアメリカで手術を受け成功しています。

 舞衣、楯、詩帆、黎人の四角関係は継続しており、しかも命も参加して五角関係になります。

 舞衣は、本当に好きなことをする、としてカラオケ同好会を始めます。

 炎と理事長は、新たに理事長になった二三と別れ、どこかこの世ならざるところに帰っていきます。

感想 §

 カグツチの口には、大きな剣が突き刺さっています。

 それがいったい何であるか、疑問を感じていました。

 しかし、今回その理由が分かった気がします。

 これは黒曜の君が、必要な時にカグツチの力を封じ込めるために差し込まれたものなのですね。

 つまり、黒曜の君からすれば、カグツチの使い手が最終的に勝ち残ることは最初から予定されていた結末であり、その際、彼女のチャイルドが自らに危害を及ぼすような行動に出ないように、あらかじめ予防をしてあるという感じでしょうか。

 よく見ると、カグツチが黒曜の君を倒す瞬間、既にこの剣は消えています。つまり、HiME戦隊が姫星を破壊した時点で、カグツチを封じる剣も消えていたと言うことでしょう。(2005年4月7日追記、指摘されて気付きましたが、その前にその剣が消える描写があります。ほんの一瞬で、すぐにカグツチの身体が画面一杯に出てくるため、どこの何が消えたのかよく把握できていませんでした。しかし、じっくり見ると確かにカグツチの口に刺さった剣が消えています)

 ほとんど説明もなく、一気に突っ走っていますが、よく見るといろいろと凝っています。

 ある意味、このような構成はTV向けというよりは、繰り返してみるDVD向けではないかと思います。繰り返し見ているうちに、いろいろと発見ができるタイプです。そういう作品を作るのは、けっこう手間が掛かります。それをTVで放送するというのは、ある意味でゴージャスです。

 理事長が光りながら浮上していく場所は、かつて願いが叶う願掛けの場所として登場した場所です。予想もしない形で、印象的な場所が再び意味を持つというのは、意外性があって面白いですね。

 そして、この作品が最終的にいったい何であったか、ということもようやく分かりました。

 主人公である舞衣が最終的に到達する境地は、楯が好きだと認めることではなく、実は命が好きだと認めることにあったわけです。考えてみれば、第1話で、もっとも良い場所に描かれていたのは、実は楯ではなく命だったことが思い出されます。舞衣と命は、ずっと一緒にいたにも関わらず、二人は本当の意味で心を通わせていたとは言えません。舞衣から見た命は、子供かあるいはペットに近い存在でしかなく、彼女の心について本気で考えていたとは言えません。そして、その考えに立ち至り、一人の人間として、異なる同格の人間である命の気持ちを分かりたいと思い、そしてそれが分かるようになってきた時、この物語はようやく大団円を迎えることが許されたと言えます。

 そこから逆に考えた時に、楯と舞衣が結ばれない結末の意味も明確になります。楯はこの物語において、舞衣の相手役としての重さが決定的に欠けています。確かに、ここぞという場所で舞衣を助けに入り黒曜の君とも戦いますが、すぐに舞衣によって助けられる状況に陥ります。どちらがどちらを助けに来たか良く分からなくなってしまいます。単なる有望な元剣道部員でしかない男であれば、それは順当な結末と言えます。それが、楯の限界であり、楯が通しうる筋であるならば、必然的に結末はヒーローとヒロインが結ばれるハッピーエンドには成り得ません。

 そして、最後に舞衣が選んだのが弟でも楯でもなく、カラオケであるというのは非常に意味深な結末です。これにはいろいろな解釈があり得ると思います。たとえば、特定の一人との決定的な深い関係を回避しつつ、多くの好意を抱く人達との付き合いを継続するハーレム願望、という解釈があり得るかも知れません。しかし、私はそうは解釈しません。私が思うに、舞衣は大切な人を大切にするという状況に心が疲れ果てているのだと思います。だから、大切な人と深い関係になることによる精神的な負担に耐えられないのではないかと思うわけです。それゆえに、大切な人達が、一定以上の大切になってしまわないために、人よりもカラオケを選んだのではないかと。そのような解釈をしてみました。

更に感想 §

 黒曜の君、舞衣、命の背景でチャイルドがぶつかる映像。これは絵としてとても良いですね。

 それから、復活すら芸になる遥ちゃん。やっぱり遥ちゃんは最高!

今回の名台詞 §

楯「そんな奴はしんじまったよ」

 格好良いよ、楯君! この瞬間だけ、君はヒーローだ!!

炎「やっちゃったよ、あの子達。とうとうやっちゃった」

 目が光り、苦しげに激しく叫んだ直後にちょっと白けたこの台詞。さすが炎凪。彼はやっぱり最高です。

奈緒「その教授ってのもバカなの?」

 そうか、こういうバカだったのですね。碧ちゃんの大切な人は。

シリーズを通しての感想 §

 シリーズを要約すると、こんな感想になります。

 「ザンボットだよ、うん、ザンボットだ」

 別の言い方をすれば、1950年代のSF黄金期(もちろん、SF小説のことを示しています)に活躍したアメリカのSF作家の処女長編のような作品、というべきでしょうか。

 この意図は説明を要すると思います。

 極めていい加減なことを書きますが、そのようなSF作家の処女長編というのは、その作家の持つ可能性の全てが、長編とはいえごく短い小説の中に全て詰め込まれていることが多いと言うような話をどこかで読んだような気がします。それが正しいかどうかは定かではありませんが。つまりは、長さに比して、アイデア過多であると言うことです。あまりに多くのものを消化不良に詰め込みすぎていると言うことです。しかし、それは悪いことではありません。それらは、その作家のその後の作品の中で、見事に花開いていくのですから。

 ザンボットというのは、富野由悠季監督の作品、無敵超人ザンボット3を意味します。富野由悠季監督は、ザンボット3で独自のカラーを発揮し始め、無敵鋼人ダイターン3を経て誰もが知っている名作、機動戦士ガンダムを作り上げます。つまり、ガンダムの大ヒットとは、いきなりガンダムという作品が出現したわけではなく、強い作家性が発揮される2つの作品を経て、ようやく成就したものであるわけです。ザンボット3という作品には、いろいろとキラリと光る素晴らしい原石が含まれています。しかし、それは見る目を持った者にしか分からない価値に過ぎず、大いなる可能性を秘めつつも即座に大ヒットには結びつきません。それがヒットするためには、場数を踏み、成熟するための作品群と時間を要したわけです。(もちろん、ガンダムに至る流れはこんな単純なものではなく、もっと多くのいろいろな要因がありますが、ここではこういうことにしておきましょう)。

 つまりですね。

 舞-HiMEという作品持っている性質とは、上記のような作品群が持つ性格と似通っていると感じるわけです。

 この作品の、特に後半はあまりにも内容を詰め込みすぎていて、1つ1つのエピソードが消化不良になっている感があります。極論すれば、2倍、あるいは3倍の時間を使って描いて丁度良いぐらいの内容が詰め込まれている感があります。この詰め込み方は、SF作家の処女長編に似ています。

 しかも、後半の展開のあまりに暗いこと。希望のカケラもないようなエピソードが延々と連なっていきます。このあたりは、ザンボット3を連想させます。そういう暗い話になっていくのは、作家の良心をストレートに発動させると当然起こり得る結末の1つと言えます。手抜きではなく良心があればこそ、そのような展開になりうるのです。しかし、視聴者サイドから見れば、暗いドラマを、そうそう気持ちよく見られるわけがありません。この点にのみ着目すれば、舞-HiMEは作家の良心が視聴者を置き去りにして暴走したと言うこともできます。

 もし、その暴走だけの作品であれば、いともあっさりと私は感想を書くことを中断したでしょう。

 しかし、中断しなかったのです。

 それはなぜか。

 作品に込められた、様々な趣向の数々。それが、強い刺激となって、また来週も舞-HiMEを見たいと思わせたのです。

 それらの魅力は、暗い展開を遙かに上回るだけの魅力があったと言えます。

 それだけの魅力を作品に付与しうる力を持ったスタッフが作っている以上、彼らがもっと場数を踏み、成熟したらいったいどれほど面白いアニメを作りうるのか。その可能性を考えた時、とてもワクワクするものを感じます。

 根拠はありませんが、このスタッフが作る次の次の作品、つまりザンボットから見たガンダムに相当する作品が、まさにガンダムに匹敵する大ヒットを飛ばすかも知れない、と考えることはあまりに夢を見すぎでしょうか? いや、夢だとしても、それは努力によって現実になりうるものです。ゼロではない可能性は、常に可能性があるのです。

 作品そのものの様々な魅力(けして低くはない。むしろかなり高い!)にその夢を加えて、今期(2004年10月~2005年3月)のアニメの中で最もワクワクしたのが、舞-HiMEだったと断言しましょう。