今日は、世田谷区立郷土資料館に行ってきました。
ここには、2002年10月13日に訪問していますが、そのあと2004年4月7日に世田谷城址公園に行ったあと、その場所の詳細がここなら分かるのではないかと思い、もう1回行こうと思っていたところです。
さて、もちろん現在は都下の歴史資料館巡りに集中するというポリシーを持っていますが、炎天下をてくてく歩くのも身体に良くないので、これは夏期休業中でした。しかし、閉じこもってコンピュータに向かって仕事をしているだけでは身体に悪いので、少し身体を動かすことにしたのです。そう、世田谷区郷土資料館とは、根性を据えて見に行く場所ではなく、最寄り駅の下高井戸から世田谷線でたった4駅という近さのお手軽な行き先だったのです。しかも、入場は無料で貧乏人にはピッタリ。
世田谷区郷土資料館 §
というわけで、世田谷線に乗ってやって来ました上町へ。
地図を見ることもなく、道は分かってしまいました。
1回しか来ていないのに、人間の記憶力というのは大したものですね。とはいえ、紙の上の知識ではなく、身体で覚えた道筋だからでしょう。
しかし建物の写真は撮り忘れ。
手前に立っているこの碑で代用としましょう (汗。
展示を見ていると、ちゃんと世田谷城関係のものもありました。既に見ているはずなのに、人間の記憶力など当てになりませんね。とはいえ、ふらふらのお疲れ状態だったので、展示の文字などは読めませんでした。まあ、それでも良いのです。ミーハーは、勉強や研究のために来ているわけではないのです。
季節展「螢とさぎ草伝説」 §
さぎ草伝説とは、おそらくこのページから語れる物語と同じと考えて良いと思いますが、なかなか興味深い不思議な話です。そのような話が、自分が住んでいる場所からさほど遠くない世田谷区内にあるのは興味深い話です。
ちなみに、本物の蛍の生態に関する展示もありました。
そして、図書コーナーへ §
そう、前々からここに来たかったのです。
世田谷城関係の資料を見たいがために。
けっこう人がいて、混んでいました。(これはびっくり!)
書棚を見始めると、入り口近くに世田谷区郷土資料館の刊行物で、確か「世田谷の中世城址」のようなタイトルの書籍があり、見始めました。昭和53年のもので、既に絶版のようです。
ちなみに、この本を見ている時、疲労が出て非常に眠く、以下の記述は睡魔の隙間で見た(かもしれない)ことを曖昧な記憶で書きつづっています。けして信じてはいけません。
これがまさに意図したものでした。
大半が世田谷城関係の記述で占められています。
しかも、今残っている範囲など一部に過ぎず、実は豪徳寺のあたりまで全て世田谷城であって、そのあたりが主な城であったという説まで披露されています。
更に、なぜここに城があるのかという必然性も考察されています。鎌倉時代の交通は、鎌倉を中心とした鎌倉街道です。その1本と、防衛の要衝となる多摩川の交差する点に近い位置にあるのが、この世田谷城だと言います。(住人の感覚だと多摩川と近いとは言えませんが、鎌倉中心に見れば近いのでしょう、たぶん)
そのようなわけで、いつも出てくる疑問「なぜこんな場所に城が……」という問いに答えるには、鎌倉時代の交通網についての基礎的な前提知識が必要となりそう。
そして、そのような前提は、東村山など、都下の歴史資料館を巡ることで、やっと私も明確に手に入れたものです。
もしかしたら、江戸中心の地理感覚しか持たない人は、永遠に納得できない可能性があり得ます。
いや~、歴史って本当に面白いものですね。では、サヨナラ、、サヨナラ、サヨナラ。