2005年07月14日
川俣晶の縁側電子出版事業部便り total 3206 count

センセーショナルに否定的? 外部の人達から、電子出版はどう見ているのか!?

Written By: 川俣 晶連絡先

 なんと、前回書いてからもう2週間も経過したようです。

 仕事が詰まっていると時間の経過も早くなるようです。

 さて、ネタもないので昔話を。

 電子出版について、それに興味のある者、取り組みたい者、取り組んでいる者の視点からの話とは別に、外部の人間からどう見えるのかという話を。

シェアテキストフォーラムの思い出 §

 昔、Nifty-Serveにシェアテキストフォーラム(FSHTEXT)というのがありまして、一時期そこに参加していました。

 これは古瀬幸広さんが主催していた硬派の電子出版のフォーラムで、シェアウェアのように配布されるシェアテキストというものを扱っていました。

 なぜ、このようなフォーラムができたのかというと、その主要因は、出版物の数が激増し、ポンポンと新刊が出るかと思うと、すぐに絶版になっていく当時の状況への危惧があったためです。本屋に行くとは一期一会。見た時に買わないと、もう買えないということも珍しくない状況でした。(ちなみに、アマゾンもbk1もヤフオクもない時代)。

 なぜそうなるのかというと、出版社は資金繰りのために次々と新しい本を作るものの、在庫の保管には金が掛かるし、在庫は資産だから税金も掛かるから、すぐに処分してしまうのだそうです。これでは、読者としてはたまったものではありません。読みたい時に読みたい本を買えないことになりますから。

 この状況に対処する1つのアイデアが電子出版です。在庫を持つことにコストが掛からない電子出版であれば、いつでも欲しい本を買える状況が作れるのではないかと考えられたからです。

取材に来たメディア関係者 §

 さて、ここまでは今回の本題ではありません。

 このシェアテキストフォーラムの会合(もちろん、オフラインで直接顔を合わせての)に、某放送局の海外向け番組の担当者(だったと思う)と称する人が取材に来ました。

 この人は、パソコンで出版をやる、という趣旨は理解していました。

 しかし、なぜ電子出版をやるのか、という背景は全く分かっていませんでした。

 彼が言ったのは、(思いっきり記憶を元にいい加減に意訳する)「びっくり仰天、今は本もパソコンで読む時代!」というようなびっくりどっきりセンセーショナルな報道にしたいということでした。

 つまり、パソコンという新奇な機械が、技術の進歩と称して必要もないのに文化的な読書という領域まで浸食しようとしている、という感じですね。

 この発言には、参加していたシェアテキストフォーラムのメンバーの誰もがムカッと来たように思います。他人の気持ちは明確には分かりませんので、私の印象に過ぎませんが。

 いやそうじゃない。パソコンはどうでも良いのだ。読みたい本が読めないことが問題なのであって、パソコンはたまたまそこにあるから使っているだけの手段に過ぎないのだ、などと私も熱い言葉を叩き付けてしまったような気がします。しみじみ、私もまだ若かったと思います。たぶん、まだ30代前半……。

これは昔話であって昔話ではない §

 おそらく、今やパソコンで本を読むということは、もはやセンセーショナルな見出しにならないでしょう。電子出版物を売っているショップ、サイトはいくらでもあります。そういう意味では、昔話です。

 しかし、このようなタイプの誤解とリアクションは、けして昔話ではないと思います。本とパソコンという、わりと良くあるアイテムが結び付いた時、それらから受ける印象によって、明瞭なイメージを浮かべることができます。そのイメージがあることで、理解したと錯覚することは、十分にあり得ます。

 たとえば、これよりもかなり後の経験ですが、真顔でこんなことを言う人もいました。

紙の本は絶対になくならない。だって、パソコンを最初にセットアップするマニュアルはパソコンでは読めないだろう?

 あるいは、こんな意見も良くあるタイプです。

重いパソコンがないと読めないのは不便だから、絶対に電子出版など普及するわけがない

 これらは、電子出版というものをありのまま、真摯に受け止めようとせず、自分の中にある「本」や「パソコン」という言葉が持つイメージを組み合わせて短絡的に作りだしたイメージを元に語っているに過ぎません。

 たとえば、電子出版物を読む手段はパソコンに限定されることはないし(歴史的にそのような専用機は何度となく開発されてきた!)、そのような専用機は軽く読みやすくどこでも使える方向性を指向してきました。

 仮に、典型的な電子出版の理想像が結実したとすると、紙のように軽く、読みやすく、手軽な電子書籍専用の携帯用読書ハードウェアを誰もが当たり前のように所有することになります。つまり、電子書籍を読むためにパソコンを使うのは、まだそのようなデバイスが普及していない過渡期の現象に過ぎないわけです。

 そして、そのような時代になれば、当然、電子書籍を読むためにパソコンをセットアップする必要はないし、読書する場所はパソコンの置き場所に拘束されることもありません。電車の中だろうと、トイレの中だろうと、自由です。

しかし…… §

 そのような状況があったとしても、現に多くの人達は、電子出版といえば重いパソコンで読むと思い込んでいます。最近は、携帯電話で読む、という選択肢も認知されつつあります。しかし、重いパソコンも、画面が狭い携帯電話も、読書のツールとして開発されたものではない以上、それは紙の本と比較して見劣りすると言わざるを得ません。そこから、電子出版に対する否定的な印象が生じることもまた事実。

 それに対して、いったい何をなしうるのか……。

 それは1つの課題と言えます。

株式会社ピーデー電子出版事業部