見てきました。
妖怪大戦争
わざわざ劇場まで行って。
夏休みの娯楽と言えるのは、この映画1本きりになるかな。
っていうか、9月に入った今、もう夏休みという時期ではないし…… (汗。
妖怪とはお笑いである §
妖怪とは、見ることができない怪異に創作されたビジュアルを付与したキャラクターであり、それが成立した江戸時代の人達からすれば、「いるわけない笑いの対象」である……、とするなら。
妖怪はキャラクターであり、それを見る視線としては「笑い」が適切ということになります。
そのような京極夏彦的な世界観がストレートに表現された良い映画ですね。
何回も笑ってしまいました。
特に、ろくろ首が伸びて主人公の少年を追いかけるところなど、実に可笑しいですね。
伝言ゲームで趣旨がねじ曲がり、日本中の妖怪が集まってくる展開も笑えるし。
天下分け目の決戦の最中に、鉄の要塞の中で落としたあずきを拾い続けるあずき洗いも笑えます。
豆腐小僧も、豆腐をぷるぷる揺らしながら出てくるし。
しかし、劇場内の人達はほとんど笑っていませんでした。なぜでしょう? やはり妖怪は怖いものという先入観で見ていたのでしょうか?
しかし、皮肉であり、ダークである §
しかし、喜劇とは最大の悲劇であるという主張が正当であるなら、笑える映画は悲劇でもあります。
実際、この映画には人間への皮肉が込められています。
たとえば、人間を憎いのに憎まないのは、憎むことが人間の属性であり、憎めば人間と同じになってしまう、などというのは皮肉の極みです。何せ、ヒロインが主人公に優しいのは、自分が人間になってしまわないという意地のために過ぎないことになるのです。
そして、このラストシーン。
大人になった主人公は、既に妖怪を見ることもなく、平然とゴミを捨てます。そして、捨てられたゴミの恨みと共に復活する悪役の「加藤」。正義の戦士も大人になればこの通り、「恨み」を生み出す原動力となる皮肉。
いいですね~、こういう皮肉は大好きです。
旧「妖怪大戦争」の思い出 §
ちなみに、1968年(昭和43年)に大映制作した同名映画「妖怪大戦争」という映画が存在します。
ずっと昔に、テレビで見たことがあります。
ストーリーは全く違います。なにせ、こちらの映画の方は、時代が江戸時代です。
この映画には非常に印象に残るシーンがあります。それは、外国から来た悪魔と戦うために、日本中の妖怪が集まってくるというスケール感の大きなシーンです。ともかく無数の妖怪が、集まってきます。
この映画でも、それを彷彿させるような、多数の妖怪が集まってくるシーンがあって、「ああ、確かにこれは妖怪大戦争らしい」と思いました。とても懐かしく、ワクワクしました。