よくできた、引きこもりの話ですね。
そして、一種の引きこもり対策、あるいは引きこもりへの皮肉という視点があるかもしれません。
特にオタク系の立場の主人公を見ると、本来は見られることはなく見るだけの存在である「箱男」であるはずの人物を、まさに読者が赤裸々に見るべき対象として描いているのはある種の皮肉ですね。健全な皮肉です。
そして、特に「おお!」と思ったのは、p124の専門学校の教師のこの台詞です。
でもな…君は自分と同じかそれ以下でないと認められないのかい?
だとしたら本当に他人のことを見下しているのは君の方だと思うぞ?
(傍点省略)
これは、引きこもりの典型的な病理を的確に言い当てていると思います。
つまり、周囲の評価と自己評価のギャップが大きい=常に自己評価が過大に肥大化しているというのが、私が実際に見ている引きこもりに共通する典型的なパターンです。
このような病理は、必然的に他人との接触を断ち、引きこもらねばならない必然性を発生させます。他人と接触するということは、強制的に「私は自分が思っているほどに優れた人間ではない」ということを思い知らされるということですから。それを回避したいと思うなら、引きこもるしかありません。
そういう意味で、「引きこもりだ」と見下されることを恐れつつも、実は他人を見下しているという指摘は、当事者に痛い核心を突いています。
引きこもりへの愛 §
たぶん、作者は引きこもりへの愛を持った人です。
引きこもりのことを良く知っていて、親身になってその心理と病理を考えています。
しかし、その愛は、引きこもりが持っている(かもしれない)「過剰に肥大化した自己評価」を褒め称え、大切に守る愛ではありません。
むしろ、その滑稽さを読者の視線の前にさらけ出すことに、引きこもりへの愛は向けられているように感じられます。
いや本当に。それは愛と呼ぶに値します。
私はそこまでの愛は持っていないので、特にそう思います。