2006年05月06日
川俣晶の縁側歴史と文化歴史資料館巡りtotal 8122 count

玉川上水・笹塚駅→小菊橋 を歩く

Written By: 川俣 晶連絡先

 玉川上水歩きが面白すぎてもう病みつき (笑。

 一昨日は三鷹橋→浅間橋、昨日は浅間橋→小菊橋。そして今日は笹塚駅→小菊橋です。

 特に片道だけ電車を使う経路は、日常の散歩に毛が生えた程度の時間で、知らない街をたっぷり歩けて、しかも仕事をする時間もたっぷり残って最高です。といっても、その経路は昨日と今日で歩ききってしまったわけですが。

衝撃の笹塚駅 §

 まずは京王線笹塚駅に移動。

 改札を出てすぐ右に、いつの間にか出来ていた啓文堂をちょっと覗いて……。

 それから、駅南側に出てみます。

 あらかじめ、地図であたりを付けていましたが、何やら川らしきものが見えます。

笹塚駅南に続く玉川上水

(この地点より南を撮影)

 こ、これは水が流れる玉川上水だったのか!

 これはかなりの衝撃です。

 まさか下高井戸より下流で、まだ水が流れる箇所があると思ってもいませんでした。

 しかし、この先を歩くのは今日の主題ではありません。

 泣く泣く引き返して上流へ向かう別の経路を確認します。

南西に向かう緑地

(この地点より南西を撮影)

 このすぐ先にも、水が流れる玉川上水がありました。

水がある玉川上水

(この地点より南西を撮影)

懐かしい風景 §

懐かしい風景

 この写真がどうしたの?と言われそうですが、これは私にとってのある種の懐かしい光景です。幼少の時代に見た近所の玉川上水沿いの光景に酷似していると感じるからです。これは説明が必用だと思います。ここでいう「光景」というのは、玉川上水第三公園のような小ぎれいな公園(昔は綺麗だったんだよ!)が作られるまでの期間の意味します。水が流れる玉川上水の記憶はほとんどありませんが、玉川上水が埋め立てられたあと、公園が建設されるまでの間にかなりのタイムラグがあったため、その間の記憶……というか印象は残ります。その当時は、危険な激流と言われた玉川上水の周囲には鉄条網があって(埋められた後も)、狭い道を挟んで民家の裏口が並ぶような光景がありました。

 この写真に鉄条網は無く、ただの柵でしかありません。しかし、舗装もされていない狭い道の脇に、生活感漂う民家が所狭しと立ち並ぶ光景は、何となく昔そこにあった光景を彷彿とさせます。

水がない場所は軽く飛ばして行こう §

 この先は、埋められて公園になっています。

 公園の途中で環七と交差しますが、ここには地下道が用意されています。

 地下道にはスロープがあって、自転車も通れますが、スロープの途中ではすれ違うことができません。そこで、譲り合っていた人達が印象に残ります。

衝撃の代田橋駅 §

 今日最大の衝撃は、何と言っても、代田橋駅から見える川が玉川上水だったという事実に気付いたことです。

 ええ、そうです。この川を、私は何回見たと思っているのですか!

 通勤通学経路としてここを通過していた高校時代の3年間と、サラリーマン時代の2年半、毎日のようにここを通っていたのですよ。もちろん毎日見たわけではありませんが、はっきりと印象に残るだけの膨大な回数、これを目撃していました。

 しかし、まさかこれが玉川上水だとは、思ってもいませんでした。

 さて、公園を歩いていくと、代田橋駅の電車が見えてきて、再び流れる水が姿を見せます。ゆずり橋の手前から再び水が見えます。

ゆずり橋

(この地点より北を撮影)

 更に先に進むと、もうこれはびっくりです。

 まさか、町中の駅に過ぎない代田橋駅の真下に、こんな光景が広がっていようとは!

代田橋駅の真下

((おおむね)この地点より北を撮影)

 玉川上水は、このまま甲州街道の下に続いていて、その先は地面の下となって地上からはどこを経由しているのか把握できません。

東京都水道局和泉給水所 §

 次に、玉川上水跡らしい箇所が見えたのは、甲州街道の松原交差点の手前、東京都水道局和泉給水所のあたりです。

不自然な空間

(この地点より西を撮影)

 ここに、不自然に細長い三角形の土地が見えます。

 甲州街道下になってしまった玉川上水が、徐々にそこから逸れて行く過程と見ることができるかもしれません。まさにその先は水道局の施設(東京都水道局和泉給水所)ですし。

玉川上水公園 §

 2つの巨大タンクを持つ東京都水道局和泉給水所を迂回して進むと、玉川上水公園が見えてきます。

玉川上水公園

(この地点より北西を撮影)

 更に進むと、井の頭線を越えるために巨大なパイプが上下2本姿を見せ、公園は途切れます。

 しかし、井の頭線を越えると再びパイプは地下に潜って公園が続きます。その公園も、すぐに明治大学和泉校舎前で甲州街道に突っ込んで途切れてしまいます。

 このあとしばらく、玉川上水の敷地は甲州街道の下になっていると思います。

玉川上水永泉寺緑地 §

 しばらく墓地を右手に見ながら歩くと、不自然な土地が見えてきます。

謎の三角形の土地

(この地点より西を撮影)

 緑の柵と黒い柵の間、三角形で徐々に幅が広がっていく土地です。このあたりで、玉川上水の敷地は甲州街道の下を離れているようです。

 この先には、すぐに、玉川上水永泉寺緑地があります。これはまさに玉川上水の敷地そのものと見て良いでしょう。ちなみに、警視庁第四方面交通機動隊永福基地という施設が玉川上水永泉寺緑地の横にあって、首都高速4号線に接続した経路がこの緑地の上に広がっています。今でもいるかどうか知りませんが、JAFのロードサービスもここにいたようです。

警視庁第四方面交通機動隊永福基地

(この地点より西を撮影)

 この写真が緑地とは信じられませんが、本当に玉川上水永泉寺緑地の一部を撮影したものです。この先には緑がたくさんあります。

玉川上水第三公園 §

 甲州街道下高井戸交差点の箇所を超えると、玉川上水跡地は玉川上水第三公園となります。

 まず見えるのはローラースケート場です。

ローラースケート場

(この地点より東を撮影)

 時代によって、RCのサーキットであるとか、様々な解釈をされますが、一応出来たときの解釈ではローラースケート場……だったと思います (汗。

 ここまで来れば、もう小菊橋は間近です。

 時代によって、海底軍艦ごっこに使われたりタイタニックごっこに使われたりする大きな船の遊具を過ぎると、ついに小菊橋に到着です。

小菊橋

(この地点より北を撮影)

感想 §

 出かけてから帰り着くまでの歩数は4679歩……。5000歩にも達してないじゃないか……。笹塚と言わず、初台から歩けば良かったかな……。

 いや本当に、散歩道(さんぽどう)を極めていくと、遠いと思った場所が意外と少ない歩数で到達できたり、近いと思った場所に予想以上の歩数を要したり、なかなか興味深い現象に遭遇します。実距離と感覚距離はイコールではないということですね。

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