参った!
これは面白い。
最大の長所は、後書きで触れられている通り、「速度」です。
200ページに満たない薄さで一気に読み切れる速度感があればこそ、面白いと思える作品でしょう。本は厚ければ良いというのは、単なる錯覚です。
架空戦記を2つに分類する基準 §
いわゆる架空戦記を面白いものとつまらないものに大別し、その違いを示す1つの基準として、「戦場心理による錯誤」を的確に描いているか……というポイントがあるような気がします。
つまり、錯綜する極限状況では情報の不確実さや疑心暗鬼によって、「誰かが騙そうとしている訳でもないのに」いともたやすく状況を見誤るということです。それにも関わらず、あたかもゲームをプレイしているかのように全てが明瞭に進行する架空戦記は、実は架空の戦記ですらありません。
この小説で、島津寿の本名が分かっていながら彼への捜査が進まなかった経緯は、まさに「戦場心理による錯誤」そのものです。それを的確に描ききった小説に、まさかこんな形で出会えるとは嬉しいですね。
知っている場所が出る §
新宿サブナードなのか!
知っている場所がリアルに出てくる作品は、ドキドキ感が大きいですね。
これが物議を醸した後書きなのか! §
ああ、これですね!
知識としては知っていた「あの後書き」なのですね!
これは消費される小説だ。
だから、十二人の女子高生に次々と告白されるビデオゲームのノベライズや、たまたま主演したアニメがヒットしたことを勘違いした声優の詩集と称する物や、そんな屑のような文章と同じレーベルで流通する。
(以下略)
これのおかげで、大塚さんと角川は決定的に対立してしまったという。
確かに、読み方を誤ると、声優を愚弄する文章に見えてしまいますね。
しかし、この後書きが示しているのは、そのようなレーベルで流通し、消費されることに積極的な価値を見出すのだという主張であるように読めます。
つまり、「勘違い声優の自称詩集」を消費される商品であると肯定した上で、同じ経路で語りかける(=消費される)べき作品がある……ということを言っているように思えます。大胆で面白い主張ですね。
もちろん、今から8年前の文章であって、今の視点からあれこれ言うのは適切ではないでしょう。しかし、文献で見知った昔の事件のまさに物証を偶然にも手に入れてしまった……というのは、実に面白いことです。