僕の名前はシナチク刑事シナチ君。
名前の通り、僕は刑事だ。
しかし、この世界には、刑事が必要とされる事件などまず起こらない。いたって平和なものだ。
だからこうして、寝転がって空を見ながら昼寝をしているわけだ。
そして、気持ちの良いまどろみを邪魔するのは、いつも彼だ。
「シナチく~ん! ラーメンでいちばん偉いのはチャーシューだって、チャーシュー大将とネギ夫がいじめるんだよ~」
いつも僕に助けを求めるのは、麺太君だ。彼はガキ大将のチャーシュー大将と、腰巾着のネギ夫にいじめられている。これまでも、麺はすぐ伸びるから、おまえなど伸び太で十分だ……、などと言われたと泣きついてきたが、もちろんそれは刑事の仕事ではない。
僕が返事をしないのに、麺太はまくしたてた。
「ラーメンでチャーシューばかり目立って、麺がチャーシューで隠されるのは不公平だって言っただけなんだよ。だってそうでしょ? ラーメンっていうぐらいだから、主役は麺だよね? 麺はチャーシューで隠したらダメだよね!」
僕は起き上がって、毎度のお説教をせねばならなかった。
「あのね。刑事ってのは、子供の喧嘩の仲裁係じゃないの。殺人事件でもあったら来なさい。いいね」
「そんなぁ。僕に頼れるのはシナチ君だけなのにぃ~~~~」
その時、涼やかな美声が僕の耳を打った。
「あら、シナチ君に麺太君じゃない。仲良く楽しそうにお話しして良いわね」
僕は慌てて飛び起きて、声の主に向き直ると頭をかいた。
「こんにちは、ナルトちゃん。いや、やっぱり麺太君は手間が掛かる子だから面倒をみてあげないとね」
そう、僕はナルトちゃんにぞっこん惚れているのだ。この世界に、ナルトちゃんほど魅力のある女の子はいない。
小さく薄くはかない身体に、吸い込まれそうなピンクの渦巻きが描かれている。この渦巻きの中に突っ込んでみたいと思っている男は多いはずだ。
僕は、邪魔な麺太を追い払うことにした。
「麺太君。後でチャーシュー大将には僕から言っておくから、今日のところは帰りたまえ」
「うん、分かった。絶対だよ!」と言いながら、麺太君は去っていった。
僕とナルトちゃんは向かい合って、二人だけで立っていたが、どうしても言葉が出てこなかった。ナルトちゃんも頬を渦巻き状に赤らめて顔を伏せている。
「おやまあ、若いってのはいいねぇ」といきなり背後から声がした。
「うわ。あなたは、スープんおばさん!」
「確かにナルトちゃんは可愛いけどね。可愛い女には何があるか分からないよ。身体のまわりのトゲトゲは、うすくてぺらぺらに見えるけど、身体を高速回転すれば男を切り裂くかもしれないよ」
「な、何を言ってるんだ」僕は慌てた。「その程度で、歯ごたえのあるシナチクが切り裂けるわけがないじゃないか……」
「まあいいわい。どうせわしらの寿命は、ラーメン職人に作られてから人間に食べられるまでの短い間じゃわい。短い時間を、せいぜ楽しんでおくんだね」
そう……。僕らは人間に食べられて終わる。いつの間にか僕らはそれを忘れているが、それは予定された未来なのだ。
翌日、懲りもせず、また麺太君がやって来た。
「シナチく~ん! チャーシュー大将が、チャーシュー大将が大変なんだよ!」
「だから、それは刑事の仕事じゃないんだ。殺人事件でも起きたときに呼びに来てくれよ」
「だから、起きたんだよ! その殺人事件! チャーシュー大将の身体がまっぷたつ!」
「何!?」僕はまどろみから覚醒して立ち上がった。「本当なのか!?」
「そう、そうなんだよ!」
生まれて初めての刑事としての本当の仕事が発生した。
調査の結果、麺太の言ったことは事実であることが分かった。
チャーシュー大将の身体は見事にまっぷたつに割れていた。
現場にはネギ夫と麺太もいた。
僕は二人に詳しい状況を質問した。
いつものように、麺太はチャーシュー大将とネギ夫に追いかけられていたらしい。
そして、身体が軽いネギ夫の方が自然に前に出ていたようだ。つまり、逃げる麺太の後ろに、追うネギ夫。その更に後ろに追うチャーシュー大将という形だ。
チャーシュー大将とネギ夫は大声で麺太を揶揄しながら追いかけていたが、ふとチャーシュー大将の声が消えたというのだ。
不審に思ったネギ夫が振り返ると、チャーシュー大将の身体は2つに割れていたという。
周囲に人影は見えなかったという。
話を聞いている途中で、ナルトちゃんが通りかかった。そのままナルトちゃんは遠くから僕らを見ていた。僕は、ナルトちゃんに良いところを見せようと張り切った。
ネギ夫は言った。「犯人は絶対に麺太だ!」
「なぜそう思うんだね?」
「動機もあれば、手段もあるからだよ」
「確かにいじめられていたから動機はあるね。しかし、手段があるとはどういうことかね? 君は麺太を追いかけていたのだろう? 自分の前にいる人物が、自分の背後の人物を殺せるとでもいうのかね?」
「ふっふっふ。このネギ夫さまの天才的な頭脳をなめてもらっては困りますね。麺太は数百本の麺から成り立っているんですよ。一部を抜いて待ち伏せさせても気付かれる心配はありません。しかも、細いから小さな穴から逃げ出せます。何食わぬ顔で本体と合流してしまえば証拠も残りません!」
「そんなぁ。僕やってませんよ~」と麺太は泣きじゃくった。
「そうだろうね。ネギ夫君の推理には1つ致命的な弱点がある」
「どこにそんな弱点があるんですか!」
「凶器が見あたらない。いくら、チャーシュー大将が箸で簡単に切れるほど柔らかいトロトロの上質品だとしても、伸び太と揶揄されるほど伸びて柔らかくなった麺太君の身体で切れるとは思えないね。先に麺太君の麺の方が切れてしまうだろう」
「そ、そうか……」ネギ夫はうなだれた。
「じゃあ、真犯人はいったい……。まさかネギ夫!?」と麺太はネギ夫を睨んだ。
「いいや」と僕は首を横に振った。「僕は既に正解を言っているのに気付かないかね?」
「正解!?」
「僕らは人間に食べられるために生まれた。この世界には、いつか人間の箸がやってくるのだよ」
「まさか!」と麺太とネギ夫が叫んだ。
「そう。人間が使う2本の空が天空から降りてきて、チャーシューを食べやすいように2つに分けた……と考えるのが最も自然だろうね」
「ええっっ!?」
「だから、君たちも思い残すことがないよう、精一杯充実した日々を過ごしてくれたまえ」
そして、僕はナルトちゃんに声を掛けた。
「そういわけで、今夜僕とデートしてくれませんか?」
ナルトちゃんは、少し顔を赤らめて「喜んで」と答えた。
その夜。
僕は人気のない広場に向かった。そこでナルトちゃんと会うためだ。
ナルトちゃんは既にそこで待っていた。
「シナチ君!」と喜んで僕に駆け寄ろうとしたナルトちゃんは、僕の顔を見て表情を凍り付かせた。
それはそうだ。僕は、とても真剣で恐い顔をしていたからだ。
「どうしたの……、シナチ君」
「残念ながら、これはデートではない」と僕は言った。「1つだけ僕は確かめたいことがあるんだ」
「……」
「僕が昼間言った推理はデタラメだ。もし、人間が食べるために箸でチャーシューを2つに分けたのなら、すぐに片方が人間の胃袋に持ち去られたはずだ。しかし、実際には未だに持ち去られていない」
「……」
「もっと言えば、麺太君の麺が伸びきって、伸び太とまで揶揄される事態になっているのに、まだ僕らは食べられる気配もない。つまり、僕らは人間に見捨てられたラーメンなんだ。人間の箸が来るはずがない」
「なら、いったい誰がチャーシュー大将を殺したというの?」
「君がその身体を高速回転させ、周囲のギザギザで切り裂いたのだ」
「でも、そんなことは無理だとあなたは言ったじゃない」
「僕の身体は切れない。しかし、トロトロのチャーシュー大将なら切れるんだ。放置されて乾燥して固くなり始めたナルトちゃんの身体ならね。そして、小さく薄いナルトちゃんだから、物陰に身を隠すのも容易だ」
「でも動機がないわ」
「動機ならあるさ。君はレイプ未遂の報復をしたんだ」
「……」
「君の渦巻きは、この世界の全ての男が吸い込まれそうな魅力を感じていた。だが、それをやってはおしまいなので、誰もが理性でその欲求を抑えていた。だが、この世界の帝王とも言える立場にあったチャーシュー大将は、その欲求を行使する特権があると錯覚した……」
「どうして、死人の気持ちがあなたに分かるというの?」
「何かあると、シナチく~ん!と僕のところに駆け込んでくるのが麺太君だけだと思ったかね? 人目に付かないところで、チャーシュー大将の相談に乗ったこともあるんだよ」
「それじゃ……。私を逮捕するの?」
「まさか。僕らはどちらも人間に見捨てられたラーメンに入っていた具なんだ。今更、正義を通して何になると言うのかい?」
ナルトちゃんは、返事をせずに無言で僕の身体を暖かく包み込んできた。
このまま二人一緒に終わりの時を待つのも悪くないか……。
だが、その甘い空気はいつもの、あの声に破られた。
「シナチく~ん! もう夜も更けたって言うのに、ネギ夫がいじめるんだよ~」
どうやら、まだまだ同じ日々は繰り返されるらしい。それも悪くない……、と僕は思って、麺太へのいつも通りの説教を始めた。
(遠野秋彦・作 ©2007 TOHNO, Akihiko)
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