やられた!
これは凄い。
面白くて深いです。
第1巻よりも、比較にならないほど深いです。
ライバル女性 §
まず、登場するライバル女性が屈折しています。
ホステス業をしながら、ゆーしーの組から借金を取り立てられる存在です。しかも、ホステス業で借金を返すお膳立てまで慎之助が行ったという。つまり、慎之助は借金の取り立てに来るヤクザであるのに、彼女は惚れているわけです。しかも、世の中を斜めに見たりはせず、ストレートに他人から必要とされる立派な人間として生きています。こういう状況から生じる人間的な深みは、お子様のゆーしーには到底入り込めません。そこに生じるゆーしーの焦りは見所です。
しかし、そこで終わらない!
それにも関わらず慎之助はゆーしー一筋なので、逆にライバル女性の方にも焦りが出てきます。特に、深夜行列でゲームを買うゆーしーの護衛に行くため……という理由で、大人の時間をすっぽかされる状況は実に皮肉で屈折しています。
こういう割り切れない屈折感に満ちた三角関係は、非常に優れた恋愛ドラマそのものです。
オンリーイベント §
大田区産業プラザとか、オンリーイベントとか、ちゃんとツボが分かっている描写が良いですね。
暴走するHP競争 §
ゆーしーがライバルのコスプレイヤーとホームページで競争するエピソードは、ある種の屈折した願望の表出そのものと言えます。
つまり、誰もが考える(かもしれない)「若い娘であれば」「芸はなくても」「脱ぐことで」「容易にアクセスを集められのに」という一種の思考がストレートに実践された内容です。
しかし、その戦略は実際に行うと容易に破綻します。
破綻する理由はいくつもあります。
そのうちに2つが的確に作中で示されています。
第1に、「露出するだけでは容易に頭打ちになり、更なる付加価値の付与に失敗して潰れる」というパターンに陥りがちであること。
第2に、インターネット上の多くのサービスが、アダルトサービスに対する制限を設けていて、やりすぎるとサービスそのものから排除されてしまうことです。
つまりこの作品は、ある種の願望を実体化した上で、それが上手く行かない理由まで的確に示しつつオチを付けます。
非常に良くできています。
コスプレ脱衣麻雀 §
最も印象的なのは、ゆーしーが行う脱衣麻雀です。
これも非常に屈折した面白い構造を持っています。
まず、ゆーしーは、アカギがモデルと思われるアニメを見て麻雀に凝り始めます。ここで、ゆーしーは、脱衣麻雀のヒロインとおぼしキャラのコスチュームを着て麻雀をやるようになります。
ここで、ゆーしーは、自分も代打ちをやりたいという願望を持ちます。
そして、卑劣な白桃組2代目の挑戦に自ら勝手に代打ちとして乗り込みます。もちろん、コスプレして。
この段階で、どこまでが現実でどこまでがコスプレの演技であるかが明瞭に分離されておらず、混濁しています。
1つの側面として、高価な掛け軸を賭けた負けられない勝負という状況があります。そういう意味で、ゆーしーは組と父親の立場を背負っています。
別の側面として、コスプレを演出する最高の舞台装置という状況があります。黒服が部屋の中に並んで座っていて、「ざわざわ」(笑)している状況は、コスプレの価値を最高に引き出す状況とも言えます。
この状況は、終盤において更にディープに深化します。
圧倒的に負けているゆーしーは、白桃組2代目から逆転の可能性のある青天井のルールの提示を受け、その代償として負けたら1枚ずつ脱ぐ脱衣ルールを提示されます。
ここで、ゆーしーは、相手がイカサマをやっていることを承知の上で、それでも脱衣ルールを「堂々と正面から」受け入れます。
これは、ゆーしーが、自分がコスプレを通して演じている脱衣麻雀ヒロインという存在に完全になりきる展開です。女性側が一方的に脱がされるのは、脱衣麻雀ヒロインの基本的なパターンであって、自分だけが脱ぐという提案そのものが、実は最高のご馳走であるわけです。
ちなみに、ここで留意すべきことは、脱衣麻雀において脱ぐヒロインは、基本的にプレイヤーの分身ではないという点です。プレイヤーは男であって、女は男の欲望に従って脱がされる存在です。
つまり、自分が勝者となる深夜の麻雀アニメの主人公に憧れつつ、自分は敗者として脱がされる立場のコスプレをしているという屈折と矛盾がそこに存在します。
この状況を解決する方法は、もちろんあります。
ヒーローが大好きなゆーしーなら、容易に分かるでしょう。
つまり、圧倒的に負けている状況から最後に大逆転して勝つ……というパターンです。
実際、ゆーしーは、1枚ずつぎりぎりまで脱がされていく……という脱衣麻雀ヒロインの敗者の境地が醸し出す美学を堪能しつつ、最後の大逆転によって勝者の美学を獲得します。それは、もう1つの世界にあった「高価な掛け軸を奪われてはならない」「組と父の名誉」という問題にも決着を付けます。
もちろん、それはゆーしー1人で可能になったことではなく、慎之助の支援があってのことではありますが、それでもゆーしーが唯一可能である全てをパーフェクトに満たす結末へと自分の足で到達したことは間違いないでしょう。
ここで、ゆーしーは、限りなく「男性向け誘い受」というキャラの類型に限りなく接近しています。少なくとも、危機的状況に自らを積極的に置く……という行動パターンは、かなり近いものがあります。
微妙な瞬間というラインに立ったゆーしー §
さて。
この作品で非常に面白いのは、ゆーしーというキャラクターの内面の成長度です。
ゆーしーは、見かけ上既に成熟した女性の身体を持っています。
しかし、精神的にはまだまだ子供から脱しきっていません。
慎之助に対する愛情も、まだ恋というよりも子供っぽい憧れのレベルに過ぎません。他の女性をライバルと認識することはありますが、男の気持ちは理解できず、自分が男達から愛される存在である認識も希薄です。ゆーしーは、未だに魅力のある女性に憧れ、模倣する「模倣者」の段階にあるのです。コスプレも「模倣」の手段であるし、グラビアが好きで真似をするのも、このような意味での「模倣者」であることを示します。
しかし、このような立場は一過性のものです。一人前の女として、女の社会に身を投じるようになれば、必然的に「模倣者」ではいられません。そこで自己を確立しなければなりません。自己を確立すれば、自分が男から見られる存在であることを意識し、むやみに肌を晒すことが危険であると認識せざるを得なくなります。
それゆえに、ゆーしーというキャラクターは、本来ならほんの一瞬で駆け抜けていく非常に微妙な時期を魅力的に描いた作品と言えると思います。
ちなみに、肌を見せる漫画はいくらでもありますが、こういう「本来ならほんの一瞬で駆け抜けていく非常に微妙な時期」に有自覚的な作品はあまり多くはないかもしれません。そういう意味で、宝物と言っても良い傑作だと思います。
……日本の漫画界は、こういう作品をさりげなくポッと出してくるから侮れません。