2007年06月16日
トーノZEROゲームプレイ日記ACE COMBAT 6 解放への戦火total 2512 count

ついに公開されたトレーラー・やっとACE COMBAT 6の具体的なムードが見えてきた!!

Written By: トーノZERO連絡先

 07.05.21に次いで、07.06.15にACE COMBAT 6公式サイトが更新され、ついにトレーラームービーが公開されました。

 通常サイズの他に、期間限定でHD画質のムービーも公開されていて、それはダウンロードして再生する形を取ります。

 これを見て、やっとACE COMBAT 6の具体的なムードが見えてきた感じがあります。

 それは、HDであることの意味と、ストーリー的な意味の2つがあります。

HDであることの意味 §

 このムービーで最も「燃える」と感じたのは、空中空母らしき大型航空機です。もちろん、ACE COMBAT 3のスフィルナのように、空中で航空機を発着艦させる機体は過去にも存在します。しかし、機体の中央に後ろから前に向けて貫通したスペースがあり、しかもその先に向こうの空が見えることに「燃えた」わけです。この機体は、感覚的に納得できるし、タッチアンドゴーができます!!

 しかし、このシーン、HDではない通常サイズで見ると、「燃えない」のです。

 なぜ燃えないのかと言えば、明瞭な形で「貫通飛行甲板」の形状が把握できないからです。

 そこには歴然とした情報量の差があります。

 実際、全般的に通常サイズのムービーは、見てもさっぱり燃えません。

 他のシーンでも、歴然とした情報量の差があるからです。そして、その情報量の差を意識したビジュアルデザインと演出が行われていると感じられます。

 更に言えば、敵も味方も数が多いシーンでは、HDなら1つ1つの敵味方に明瞭な存在感が感じられます。そこから得られる臨場感とドキドキ感は、まさにPS2世代のACE COMBATシリーズを過去のものにすると言っても過言ではないと思います。

 (もっとも、過去のものになったとしても、ゲームとしての面白さが消えるとは限りません。実際、既に過去のものになったACE COMBAT 2や3をプレイしても面白いと感じます。しかし、歴然とした時代の差が見られることは間違いありません)

ストーリー的な意味 §

 このムービーには、ストーリー的に2つの軸があると感じられます。

 1つは、もちろん戦争を戦う者達という軸です。この軸において、戦うことは「当たり前」の前提となります。

 もう1つは、戦う者達に呼びかける民間人女性という軸です。この軸において、戦うことは「当たり前」ではありません。戦うことを中断して何かを語りかけようという女性は、胸を押している人工呼吸(?)のカットの挿入により、敵を倒すことよりも誰かを助けることを望んでいるようにも見えます。

 つまり、このムービーは「当然の戦い」と「戦いが当然であることに対する異議申し立て」が2本の軸として絡み合っている構成に見えるわけです。

 このことの意味は、非常に重要です。

 なぜなら、「敵を倒す」行為を行うゲームでありながら、そのような行為に対する異議申し立てを内包することによって、「敵を倒すことの正しさ」を意識させられてしまうからです。

 さて、ここでACE COMBATシリーズを振り返ってみると、実は「敵を倒す行為」が自明のものとして肯定されている作品と、そこに疑問が差し挟まれる作品が存在することが分かります。

 具体的に言えば、特定の敵が存在し、その敵を打倒することによって完了するタイプの作品は前者に当たります。たとえば、ACE COMBAT 2/04/Xは明確にこれに該当します。

 逆に、敵が固定されず、途中で敵と味方が入れ替わる展開がある作品は後者にあたります。たとえば、ACE COMBAT 3/5/ZEROはこれにあたります。

 とはいえ、ACE COMBAT ZEROは厳密にいうと、前者にあたるのではいかと考えています。なぜなら、国境無き世界とは単なる子供っぽいテロリスト集団に過ぎず、「敵を倒すことの正しさ」を意識しなくても倒せてしまうからです。

 さて、この2つのタイプの作品はどちらが正しいでしょうか?

 この問いかけは、おそらく意味がないでしょう。

 どちらにもそれなりの良さがあり、優劣は付けがたいと思います。

 しかし、どちらがより長く印象にとどまるか……という比較なら、明らかに後者のタイプの方が印象深く残ります。なぜなら、敵を倒すことだけが求められる作品は、全ての敵を倒してしまえばそこで終わってしまうからです。それに対して、敵を倒すことに疑問が差し挟まれる作品は、戦うことの意味が何であったのか、答のない問いかけを残すことになります。それは、答がないために、いつまでも心に残る可能性があります。

 たとえば、ACE COMBAT 3のストーリーに明確に割り切られたハッピーエンドはありません。ディジョンやサイモンの気持ちにどのような決着を付けようとも、全てが円満に収まることはありません。

 ACE COMBAT 5でも、最終的にオーシアとユークトバニアが和解したとしても、相互に殺し合った多くの人命がある以上、わだかまりを持ち続ける人達が多く残るでしょう。また、復讐者としてしか生きられず、しかも復讐を完遂できなかったベルカ人の気持ちは、どのようにも受け皿がありません。

 このように考えると、なぜ未だにACE COMBAT 5に関する記事が読まれ続けるのか、なぜ未だにACE COMBAT 5の空を飛び続ける者がいるのか……という理由も分かるような気がします。(それは理由の一面に過ぎないでしょうが)

 さて、このトレーラームービーを見た印象から言えば、おそらくACE COMBAT 6も後者つまり「敵を倒すことの正しさ」を意識させられる作品にあたるように思います。

 ということは、敵を倒して終わってしまう作品ではなく、いつまでも心に残る作品になてくれるのではないだろうか……。

 そういう期待を感じてしまうのです。

 それはACE COMBAT 04/ZERO/Xではなく、ACE COMBAT 5の正当な後継者であることを意味します。

 過去に、ACE COMBATシリーズが好きな理由と、5が好きな理由は違うと表明したことがありますが、ZEROやXは前者の気持ちの受け皿にはなり得ても、後者の気持ちの受け皿にはなっていなかった感があります。しかし、もしかしたら6はそれになるのかもしれません。

余談・ホームの列車もいい §

 列車がホームに入ってくる一瞬のカットもいい!

余談・ACE COMBAT 5の特異性 §

 ACE COMBAT 5には、戦うことの自明性という観点から、実は決定的な異質さがあります。

 それは、ウォードッグ隊の者達に、明らかに左翼的な反戦主義者のような発言が見られることです。彼らは、命令されたら飛び、敵を倒すだけではなく、命令の裏を読み、突き放した皮肉な視線で自分たちを見て、そして嘆きます。

 それに対する深い考察は割愛します。

 しかし、このような特異性は、ACE COMBAT ZERO/Xにはあまり継承されていない……ということは間違いないでしょう。ではACE COMBAT 6にはそれが継承されるのか、それとも継承されないのか。それは興味深いところですね。

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