2007年08月08日
トーノZEROアニメ感想電脳コイル total 3899 count

光学的な意味で本当に感動できること・パトレイバー2と電脳コイル

Written By: トーノZERO連絡先

 機動警察パトレイバー 2 the Movieという映画で、ともかく最初に感心したのは、オープニングです。

 2足歩行の巨大ロボットのコンピュータ シミュレーションをやっていて、人間に操縦されたロボットは仮想の街を歩いていくわけです。そして、そこに意図的に猫が飛び出して、ロボットはよろけます。しかし、転ばないで姿勢を建て直します。そして、スタッフには成功の喜びの表情が。

 ここで描かれているのは、ロボットアニメでは当たり前とも思える「単に転ばない」ことでしかありません。派手な戦闘も無ければ、色気を振りまく美少女もありません。

 それにも関わらず、「単に転ばないこと」が、大いなる感動的な成功として描かれています。

 今なら、2足歩行ロボットは当たり前に見えるかもしれませんが、この映画が作られた当時の状況からすれば、「不意に飛び出してきた猫を踏みつけることなく、かつ、自分も転ばない」というのは、極めて難しい問題であり、工学的な意味で偉大な成果と言えるのだろう……と思います。

 ロボット工学は詳しくないので、思うだけですが(汗。

 とはいえ、そういう意味でアニメから工学的な感動を得る機会は滅多にありません。

 もちろん、ファーストガンダム第1話の円筒形コロニーや、∀のザックトレーガーもインパクトはあるのですが、いかんせん「転ばない2足歩行ロボット」に比べると足が地に着いていません。

 そのように考えたとき、電脳コイルの描写は「転ばない2足歩行ロボット」と同列に論じられる「地に足が付いた工学的描写」が多くあります。

 たとえば、「見る」という行為を通して浮いてくるテクスチャ。見えない部分を処理しないのは3DCGの基本中の基本です。3DCG黎明期なら、まず出てくるテクニックは「クリッピング処理を行って視野に入らないベクトルを処理から外す」ことだし、今でも3Dデザイナーの基本原則の1つは「見えない部分は作らない」です。

 そこで、目を塞いでからいきなり「見る」ことによって、それまで処理されていなかった部分に突然処理が要求されたとき、更新頻度の違う境界上で処理の不整合が起こる……というのは、いかにも工学的に「ありそうな」描写です。

 たとえば、黒い部分しか移動できない「クビナガ」が、光が当たったために黒い地面が黒と認識されずに通れない……という描写も良いですね。実際、カメラから取得したデータを画像処理するとき、本来の色がそのまま処理できる訳ではありません。強い光が入ったりすれば、全く違う色として取り込まれたりします。だから、単純に明るさの中間値より下なら「黒」と見なすような処理では上手く行きません。本来なら、それを踏まえて上手くやるための工夫を行う必要がありますが、バグから生まれた「クビナガ」にそのような機能があるはずもない……という描写は、画像処理の工学的な意味での難しさを反映していると感じました。

 というわけで、オチはありません。今日はこれでおしまい!