太平洋戦争の時、関東の私鉄は全て東急に統合され、いわゆる大東急の時代を迎えました。その時、下北沢の近くで小田急線と井の頭線を結ぶ線路が作られ、戦災で車両を失った井の頭線に小田急線の車両が入った……という話もあったようです。どちらも1067mmの路線だからできたことです。(この線路は、空中写真(標準画像)作業名:USA10kKT, 地区:東京西南部, コース:M449, 番号:120 撮影機関:米軍, 撮影日:1947/9/8, 形式:白黒, 撮影高度:1,524m, 撮影縮尺:1/9,980で確認できます。1つ手前の駅あたりから接続する路線が写っています)
それと同じように、実は下高井戸でも京王線と世田谷線(玉電)が接続されていたという話があります。これも、双方とも1372mmだから実現できたことです。
しかし、これまで具体的に下高井戸のどこで接続されていたのかは分からないままでした。
従来の考察 §
まず、以下のような前提を取ります。
- 京王線と玉電は本来接続されていない
- 線路とホームの位置は接続の前後で変わっていない
- 最短の工事で接続可能な経路を選んで工事が行われた
このような前提から現在の下高井戸駅を見る限り、両者の線路を接続可能な場所は下高井戸駅西側しかあり得ないと考えていました。つまり、現在世田谷線の線路が終わる車止めの箇所から更に線路を延ばし、平行して走る京王線の線路と合流するような形です。
この仮説を採った場合の問題点は、以下のようなものです。
- 下高井戸駅西側は大きな踏切であり、ポイントが踏切に掛かってしまう
- この踏切の南側は大きく土地が下がっていて、線路を敷くのに適さない
しかし、他の場所で接続できる可能性は無いと思っていました。
意外なところで分かった真相 §
今日、以下のDVDが届いて、眺めていました。
すると、何とその当時の下高井戸駅を空から見たイラストが紹介されていました。
それを見ると、完全に明白に、世田谷線と京王線を結ぶ線路の位置が描かれていました。
結論から言えば、線路は下高井戸駅の東側で結ばれていました。
下高井戸駅の行き止まりのホームに入った世田谷線はそこから引き返す形で京王線も線路に平行して敷設された線路に入ります。そして、そのまま京王線の線路と合流します。
これを見て、全てが了解できました。
これが最も合理的な経路であると。
つまり何を間違ったのか §
当時の玉電はおそらく単行運転です。つまり実質ホームは半分の長さで良いことになります。
京王線も、現在とは比較にならない短い編成です。
ということは、線路を延ばす余地がない……と考えていた世田谷線下高井戸駅東側の土地には、線路を延ばす余裕があった……ということです。
これはうっかり!
常日頃、今の常識で昔を見てはいけない……と言っている私が、つい今の状況をベースに考えてしまっていました。
これは大失敗です。
買って良かったDVD §
メニューもなければチャプターも打っていない、とんでもなく使いにくいDVDですが、買って良かった!!
長年の疑問に答えが出ました。