「締切は明日なんですからね!」
妻の怒鳴り声が聞こえた。
寝転がって鼻毛を抜いていたのを見られたらしい。
私は、慌てて取り繕うのも格好が悪いと思って、そのまま寝転がって気付かない振りをした。
「全くもう。出産費用が足りないからといって、気を利かせて編集長さんがまわしてくれた短編小説の仕事なんですから。きちんと書いてくださらないと困ります。そうそう、困るのはあなたではなく、生まれてくる子供と母親なんですからね」
そして、妻はふすまをバシッと締めて奥の方に去っていった。
分かっている。
もちろん分かっている。
今日は短編小説を書かねばならないのだ。
しかし、小説とは義務感で書けるものではない。天啓であるとか、何かが降りてくる……といった神懸かりの解釈を取る気はないが、やはり何かが必要なのだ。それが得られるまでは、いくら文字を原稿用紙に書いても無駄である。
だが、いくら無駄といっても金が要るのも事実である。
ともかく、気持ちだけで引き締めようと私は考えた。
まずは目標を目に見える形にしよう。
私は桝屋の原稿用紙を取り出し、そしてマス目を無視して大きく「短ペン小説」とマジックで殴り書いた。
そして、作業机の前に貼り付けた。
なに、なぜ「ペン」だけカタカナなのかだと?
もちろん、即座に漢字が出てこなかったからだ。
それでも作家なのか?と言われそうだが、全く問題はない。原稿はワープロ ソフトで書くからだ。変換キーを叩けば、「編」ぐらいすぐに書ける。
なに、まだ疑問がある?
ワープロで書いているなら、なぜ桝屋の原稿用紙などを持っているのかと? それは原稿用紙の種類でふるい分ける文学賞があると聞いたことがあるからだ。その時に思い切って買い込んだ原稿用紙が大量に余っているから使ったまでのことだ。
さて、「短ペン小説」の文字をじっと見つめているうちに、あることに気付いた。「ペ」の「ヘ」の部分の上端部分が、かすれているのだ。その部分は、見ようによっては「ヘ」ではなく「ハ」にも見える。つまり、この紙には「短パン小説」と書かれているようにも見えるのだ。
これは小説のネタになるかもしれない、と私は思った。かつて、さる大物作家がゼイキン闘争と書いたところ、それがベイキン闘争に読めるということで米金闘争という小説を書いてしまった事例もあるというし。
そこで私は考えた。
「短パン」といえば子供が体育の授業で履くズボンのことだ。それを題材にした小説などがはたしてあり得るのだろうか?
まず私が考えたのは、「ブルマ」なら成立するに違いないということだった。私には理解できないことだが、ブルマに興奮する男達は多いらしい。ポルノ小説の分野では、おそらくブルマ小説がいくつも存在するに違いない。
だが、短パン小説が存在するのか……ということを考えると、どうも首をかしげてしまう。
そうやって短パンのことを考えていると、今時の体操着事情という話題を思い出した。男は短パン、女はブルマという常識はもう古いのだそうだ。今や、女も短パンなのだ。
そう思ったとき、私はひらめいた。
もし短パン小説が成立するなら、男も女も対象読者とすることができて、売り上げが2倍ではないか。これなら生まれてくる子供が双子でも大丈夫だ。
だが、問題は短パンにそれほどの魅力があるのか……ということだ。
そもそも、なぜブルマに魅力があったのだろうか。
ブルマとは本来女性解放のシンボル的な衣類として生まれたはずだ。しかし、やぼったいデザインが女の子達から嫌われ、徐々に肌をぴっちり覆うようなスマートなデザインに変わっていった。そして、男達のエロ視線を集めた結果として、女の子達から嫌われ、短パンの時代に変わったわけだ。
とすれば、短パンも同じ歴史を辿る可能性は十分にあり得るだろう。男達のエロ視線からの開放という趣旨で女性から歓迎された短パンも、それが忘れられる頃になると逆に野暮ったさで嫌われるようになるに違いない。そして、肌をぴっちりと覆うようなスマートなデザインに変化し、再び男達のエロ視線を集めるのだ。
いやまて。その予測は間違っているぞ。短パンは男女兼用だから、デザインの変化は男にも起こるのだ。つまり、肌をぴっちり覆うようになった短パンは、男の子達の下半身の構造をくっきりと浮かび上がらせてしまうわけだ。これは、男の子達にとっては快楽部分を強く押さえ込まれることを意味し、性的な刺激になるだろう。そして、男の子達を見ている女達にも視線の快楽を与えるだろう。
つまり、進化した短パンは、ブルマと同じではない。ブルマは男にしか視線の快楽を与えなかったが、短パンは進化すれば男女双方に快楽を与えるのだ。
まさに、男も女も対象読者とすることができて、売り上げ2倍だ。
そして、まだこの可能性に誰も気付いてはいない。
私は興奮して内職中の妻を掴まえて、この構想を語った。
「今から大長編短パン小説の執筆に取りかかれば、この分野を代表する作家にもなれるぞ! どうだ、凄いだろう!」
それを聞いた妻は呆れた声で答えた。
「で、明日締切の短編小説の方は書き上がりましたの? お腹の子供は待ってくれませんわよ」
そこで私は気付いた。
そちらの方はさっぱり何の構想も浮かんでいなかったのである。
私はすごすごと書斎に引き上げるしかなかった。
(遠野秋彦・作 ©2007 TOHNO, Akihiko)
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