2007年12月08日
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杉並区立郷土博物館・写真展「レンズの記憶 杉並、あの時、あの場所」

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日は、杉並区立郷土博物館写真展「レンズの記憶 杉並、あの時、あの場所」に行ってきました。ついでに、図書室で少し地図も見てきました。

杉並区立郷土博物館

写真展「レンズの記憶 杉並、あの時、あの場所」 §

 古い写真展です。

 ただ、自分と縁のない場所の写真も多く、あまり楽しめたとも言えません。

 1つ良かったのは、昔と今の写真を比較する展示で、回転式のパネルを使い、昔の写真を見てそれがどこか考えてから正解を見るという工夫です。いきなり正解を見るよりも、印象が深くなりますね。

 ちなみに、ちょっと前に見に行った世田谷の写真展と同じく、図録の方が解説が充実していて楽しめることを発見。図録も買うことにしました。

常設展 §

 どうせなので、常設展にもまわりました。

 ところが問題意識を持って見ると、何回も見た筈の常設展に新たな発見が。

 上高井戸の宿場町の復元模型の手前にある高井戸宿の古地図が最近の疑問の大きなヒントになっていたのです。この疑問とは、高井戸宿の下宿は京王線上北沢駅付近なのに、なぜ2つも先の駅に下高井戸という名前が付いているのか……です。結論的に言えば、上高井戸宿は比較的狭い範囲に宿場町が集まっているのに対して、下高井戸宿の範囲は現在の京王線で言う上北沢、桜上水、下高井戸にまたがるかなり広い範囲を指し示していたらしいのです。

 これはびっくりだなぁ!

 1つの宿場町がこれほど広い地理範囲を指し示すのも驚きなら、何度も見た展示にヒントがあったのも驚きです。

 もっとも、この細長い範囲の最も東側になぜ下高井戸の駅名を付けたのか。なぜ、玉電下高井戸線(世田谷線)は、その最も東側の下高井戸駅を終点にしたのか、まだまだ疑問は多く残ります。

 そのうちに機会があればダラダラと追求してみましょう。

中央線の写真展 §

 2階では、中央線の歴史的写真展をやっていました。201系からE233系への交代時期に合わせた企画ですね。

地図のチェック §

 そのまま2階の図書コーナーで、自分が持ついくつかの疑問に答えられるものが何かないか見てみました。

 すると、「東京水道拡張設計図 大正12年」という地図に、玉川上水の「下高井戸分水」が明確に書き込まれているのを発見。縮尺の小さな地図なので、厳密な意味での細かい経路は分かりません。しかし、玉川上水から別れて、神田川に流れ込んでいる様子がはっきりと見えます。

 「下高井戸分水」については、つい最近になって存在を知ってこだわり始めているのですが、以下のようなブログ記事もあります。

下高井戸村分水・新説より

この場所は、これまで複数の研究者が下高井戸分水の取水口としてきた場所である。

ところが、きのう少しだけ紹介した写本の図面には、ここよりかなり上流寄りで分水されていたことが書かれている。

この資料自体の出自がはっきりとしないのだが、少なくとも明治期に実際の水路を見て図面化したもの、とぼくは考えている。

 そのことが気になっていたのですが、「東京水道拡張設計図 大正12年」を見ると明らかにブログの写真の位置よりも上流から別れています。

 ちなみに、写真展「レンズの記憶 杉並、あの時、あの場所」(図録ではなく展示の会場)に、おそらく以下の航空写真のもっと鮮明な拡大物と思われるものがありました。

 これを見ると、上流側から玉川上水脇に細い水路があり、玉川上水本体ではなく、そこから下高井戸分水(下高井戸村分水)が続いているようにも見えます。

 しかし、もう1つ戦後米軍が航空写真を元に作成した地図というものがあって、これも最近存在を知りました。この地図は以下より閲覧できます。

 これを見ると、下高井戸分水らしい水路が描かれているのですが、(上流部ではなく)屈曲部から直接分岐しているようにも見えます。

 というわけで、現時点では素材がいくつか集まったものの、それぞれが整合しておらず、まだ結論を出せる状態ではありません。まだまだ基本的な情報集めの段階ということですね。機会があれば更に追求したいと思います。

お買い物 §

 今回は大量の買い物をしてしまいました。

  • 文化財シリーズ26 甲州道中「高井戸宿」 杉並区教育委員会
  • 写真展「レンズの記憶 杉並、あの時、あの場所」図録
  • 杉並の地図をよむ -描かれたもの 隠されたもの- 図録(地図集)

 ちなみに「杉並の地図をよむ」は、その特別展開催中に買ったはずですが、いろいろ家の中でバタバタあった関係で行方が分からなくなっていました。そこで買い直しました。といっても、複製古地図の相場から言って、これだけ揃って900円は破格の安さです。

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