「上北沢・桜上水わたしたちの郷土」を読んで目から鱗がぽろっと落ちた訳ですが、その後でいろいろ考えているうちに、下高井戸と上高井戸の中間に世田谷区上北沢が突出している部分が存在する理由と、回り込んで食い込むような特殊な分割線の理由を説明できることに気付きました。
そのあとで、桜上水Confidentialさんが同じ可能性を示唆しているのを見て、「やはりそれはあり得る可能性か」と思ったのでまとめてみます。
なぜ東京都は奥多摩を包含するのか? §
前置きの話として、奥多摩の話を書きます。
東京都は、まさに山の中の田舎としか言いようのない奥多摩も包含します(奥多摩と称される全ての地域を包含するわけではないが)。東京都内で働く者達が住む埼玉や千葉の市街地は包含しないのに、奥多摩を包含しています。
その理由はなぜでしょうか?
多摩川誌 第4編 利水/第3章 上水道利用/第2節 水源涵養と三多摩編入/ 2.3 三多摩の東京府編入より
水源地域である三多摩の東京府編入実施の理由は,玉川上水の通船にからむ東京,神奈川間のしこり,同地区における中央政界の勢力争い,同地区と産業中心地の結びつきの変遷などいろいろあるが,直接的には東京水道の改良問題が中心となっており,同時に水道水源に関して水源林の重要さが背景として認識されていた.
つまり、理由は「水」に求められます。
「水」は、行政区分を変えるだけの必然性を持つわけです。
つまり、「水」の利用者は、その水を導入する経路についても自らの管理下に置く意義を持つわけです。
下高井戸分水と北沢分水はどう違うか §
下高井戸分水は、玉川上水から神田川に向かって流れる短い分水です。
神田川周辺の低地はもともと水が豊富であり、もともと多くの農地を潤していたと考えられます。そして、下高井戸分水はおそらく農地の拡大という効能を持っていたと考えられます。それゆえに、下高井戸分水の重要性はそれほど大きくはなかったと考えます。
それに対して、もともと水量の少なかった北沢側に玉川上水の分水を導入した北沢分水は、まさに地域の生命線ともいうべき重要な水路だったと考えられます。
更に言えば、下高井戸分水は下高井戸の域内を玉川上水を通過していた関係上、あっさりと利用地域に水路を接続できたのに対して、北沢分水は利用地域内(上北沢村)内部に玉川上水を持たず、隣接する別の村から水路を引かねばなりません。
この違いは、この2つの分水が持つ性格を全く別のものにしている、と考えられます。
(つまり、これまで下高井戸分水のことしか考えていなかった私は、北沢分水が持つ別の性格を完全に見落としていた)
上北沢村は北沢分水の導入経路を管理下に置きたい §
この2つの話を組み合わせれば、突出部分が存在する理由と、境界線の形状の理由が説明できます。
- 上北沢村は生命線とも言える北沢分水を管理下に置きたい強い必然性を持つ
- 玉川上水は幕府が管理するものなので、上北沢村が管理できるのは分水点以降のみ
- 上北沢村が管理したいのは北沢分水周辺だけなので、それは極端かつ不自然に突出した境界線をもたらす
実際に地図で確認すると、まさに突出部分は北沢分水に沿った形で存在することが分かります。
大きな地図で見る補足 §
北沢分水は取水点を何回か変更しているようですが、ここで使用している情報は「玉川上水の歴史と現況」(東京都環境保全局)昭和60年3月31日の地図を元にしています。この資料から分かる確定的な部分のみ太いラインを作成し、後は参考レベルで補足的に付加した情報です。詳しくは大きな地図で見るを見てください。