J国は戦争を行い、多くの人命が失われた。
母は大切な一人息子を失った。
もちろん、母は悲嘆に暮れた。
もしかしたら間違いではないか、と何度も考えた。実際、戦死の通知が間違いだったという事例はいくつもあり、あり得ない事態ではなかったのだ。
だが、同じ部隊に属する者達は全員帰らぬ者となり、隣の部隊の者達が口を揃えて「あの部隊は壊滅した」と言ったとあれば、到底期待して良い可能性とは思われなかった。
結局、母はまるまる1年を掛けて息子の死を受け入れ、そして吹っ切れた。
それと同時にJ国は敗戦し、戦地に行っていた者達は順番に復員してきた。
さて、家に閉じこもっていた母はすっかり身体がなまったので、毎日散歩をすることに決めた。このあたりで最も環境の良い散歩コースは港町の公園だった。そこには、毎日のように復員船が到着し、兵士達を吐き出した。
母は、散歩中にその光景をいつも眺めるのが日課になった。その理由は、息子の戦友を見かけたら息子の話を聞きたいと思ったからだ。
だが、毎日復員船を迎える母は目立った。普通なら迎えに出る家族は特定の日にしか来ない。何日に帰ると連絡が行くからだ。毎日復員船を迎える者はこの母しかいない。
マスコミは、母を「帰らぬ息子を待つ母」として取り上げた。それも、母が気づかないうちにだ。いつの間にか、母は全国的な有名人になっていた。うかつな話だが、母自身も新聞を見て、帰らぬ息子を待つ母が本当にいると思い込んでいたぐらいだ。まさか自分のこととは思ってもいなかった。
しかし、美談として取り上げられ、敗戦ですさんだ人々の心に希望を与えているとなれば、嘘ですとも言えない。
だが、母が息子と再会するハッピーエンドを求める声も大きかった。
母とマスコミは相談の上、適当な相手を息子役に立てて、奇跡の再会を演出することにした。
もちろん、嘘の再会であるから、絶対に間違いがあってはならない。油断しないように母は気分を引き締め、準備を行い、打ち合わせを繰り返し、相手役の復員兵とも緻密に連絡を取り、その日に備えた。
そしてついに決行の日は来た。
「母さん! 僕、本当は生きていたんだ! 連絡できなくてごめん!」
「大切な一人息子や! 母は奇跡を信じていましたよ!」
母と相手役の復員兵は泣きがら抱き合った。周囲のマスコミと見物人ももらい泣きしていた。まさに完璧だった。油断のない演技が全ての人の心を打っていた。
だが、母はまだ油断があることに気づいてはいなかった。
その船から最後に降りてきた青年は驚いた顔になって叫んだ。
「おふくろ! おふくろじゃないか! いった誰と抱き合ってるんだよ! オレだよオレ。息子を間違えるなんて恥ずかしいな!」
ずっと捕虜収容所に入っていて母親と連絡が取れなかった息子だった。電報を打つ金もないので連絡を取れなかったのに、母親が迎えに出ていたことに疑問を感じつつも、子供を取り違える母親に苦笑いをした。
(遠野秋彦・作 ©2009 TOHNO, Akihiko)
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