2009年07月12日
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ななななんと! 番屋橋の脇の水路跡は和泉の地名の元になった貴船神社の湧水につながっていた!!

Written By: 川俣 晶連絡先

 神田川・番屋橋の脇にある怪しい路地はやはり水路跡だった!!で述べた水路跡の話題の続きです。

 何の変哲もない、ただの名もない農業用水等のなれの果て……と思っていた水路跡が、実はあの有名な貴船神社に接続されていることを発見してしまいました。3回も連続で現地に通って確認を続けたところ、瓢箪から駒が出た!!

結論 §

 先に結論から書きます。

 下記地図のA~G間は出入り口の短い距離を除き残存するコンクリート板暗渠となっています。G点の西側には昭和40年頃まで枯れない湧水として有名だったとされる貴船神社(H点)があります。貴船神社の湧水は「和泉」の地名の元になったとも言われます。つまり、この暗渠は貴船神社の湧水を神田川に流すための水路の最終形である可能性が高いと考えられます。

 ちなみにこのコンクリート板暗渠は、生い茂った木々や置かれた物のために、奥深くまで入ることは困難です。A点やG点から少しだけ入ることができますが、実質的に民家の裏庭も同然です。

悩ましい問題 §

 ここで悩ましい問題は神田川・番屋橋の脇にある怪しい路地はやはり水路跡だった!!で示した昭和44年の住宅地図に描かれた水路と全く違う点です。この地図のおかげで途中まで全く経路を誤解し、貴船神社との関係も全く思い至りませんでした。しかし、航空写真を検討しているうちに「違うかもしれない」と気づき、3度目の現地調査に行って確認しました。やはり、現地が最大の情報源です。

下高井戸暗渠常識と一致している §

 感銘を受けたことは、残存コンクリート板暗渠を発見したこともさることながら、実は下高井戸暗渠の常識が全て通用していた点です。以下の条件が全て満たされています。

  • 表通りから家1軒を挟んだ位置にある (南側に住宅群にアクセスする表通りがある)
  • 基本的に立ち入り禁止になっていない
  • コンクリート板暗渠として残存する部分は、道路としての利用価値が極めて乏しい場所に限られる (そうではない部分は一律に舗装道路になっている)

 これは、暗渠の過去や現在の状況を推定するために、和泉でも同じ常識を適用できる可能性を示唆します。

本当にここは終点だろうか §

 実は航空写真と標高データを見ているうちに、貴船神社が本当に終点だろうか、という疑問が出てきました。H点より更に西にラインが延長でき、途中で90度曲がって北に向かうラインが想定できてしまいます。この北に向かうラインは、おおむね崖地に沿って存在し、水路だったとしても不思議ではないラインです。

 以下、H点より先にそのラインを引いた結果を示します。

 ただし、A~H点は物証からほぼ確実に過去のいつかの時点で水路があったことはほぼ確実と考えますが、H点より先は今のところ単なる印象に過ぎず、証拠何もありません。

2009/08/02追記: 神田川・和泉3丁目49番地支流跡 (仮称)も参照。

送電線との関係 §

 東京電力の駒沢線とF点とL点付近で交差しています。また貴船神社北方には駒沢線の85号鉄塔もあります。水路と送電線に何か関係があるでしょうか? (送電線を水路や水路に隣接した低地上空に通すことは多い)

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