工場萌え
紀伊國屋書店

2009年10月25日
川俣晶の縁側歴史と文化ドボク系total 3649 count

ドボク系概論・それは矛盾の時代に理性を回復するカウンターとしての価値観か?

Written By: 川俣 晶連絡先

 オータムマガジンに「ドボク系」というキーワードを追加した理由と、それが「【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化」の下位に位置づけられる理由を簡単に述べます。

前置き §

 以下は現在の私の考えを述べたものであり、正しいという保証は何もありません。むしろ、間違っていると思って読むべきでしょう。

ドボク系とは何か? §

 ドボク系は土木系ではなく、カタカナで「ドボク」と書きます。これは、工場、団地、ジャンクションなどを愛好する様々な人たちです。基本的に、鑑賞することが目的であり、作る側ではなく技術者ではありません。

 「工場萌え」の著者である大山顕さんが一種の教祖であると言えますが、大山さんは団地やジャンクションへの興味も深い方です。

 さて、ドボク系の特徴その1は、各自が自分の専門分野を持つことです。たとえば、ガソリンスタンド、送電鉄塔、エスカレーター、水門、橋脚、空調の屋外機、屋外コンセント、等々。専門分野の重複はそれほど多くありません。ところが、彼らは自分の世界の中に閉じこもっているわけではなく、ドボク系のツアーに参加すると自分の専門分野外についても多くの語りを行います。これがドボク系の特徴その2です。共通の美的センスを持つものであれば、専門分野外でも受け入れ、それを楽しむセンスを持ちます。

矛盾の時代とは何か §

 「人間は自然と共に生きるのが最も良い」という考え方を見かけるのは珍しいことではなく、ガソリンも電気も使わない伝統的な生活が賞賛される事も珍しくないように思います。

 しかし、そういった生活が本当に良いのか……といえば、もちろん違います。

 まず、そういった生活は娯楽に乏しく単調であるといえます。また、文物の交流も少なく、経済的にも貧しくなると考えられます。

 それだけなら「欲望さえストイックに抑止すれば対応できる。いや対応すべきである」という意見もあり得ます。

 ですが、話はそれで終わりません。

 そういった生活は医療が貧弱であるため、おそらく死亡率が激増します。特に子供は簡単死んでいくでしょう。その結果、女が子供をたくさん産むことが求められます。女の人生は子を産む行為に拘束されて自由は大幅に減るでしょう。

 死なずとも子供は貴重な労働力として働かせることになるでしょう。貧しくなるとは、そういうことです。

 そういった状況は、突飛でも過剰反応でも何でもなく、100年ぐらい前の日本では普通にあったことです。

 そして、おそらく現代日本人の大多数はそのような生活を受け入れることはできないでしょう。

 しかし、受け入れることができないにも関わらず賞賛されてしまう時代であるのも事実です。

 ここに1つの矛盾があります。

矛盾を解きほぐす方法 §

 この矛盾を解きほぐすには、「我々は便利な人工物を捨てて自然と共に生きることはできない」という事実を承認し、その上で「最善ではない」と認識した上で、妥協点を模索するしかありません。人間の欲望を最低限満たしつつ、自然に致命的なダメージを与えないような妥協点を見いだす必要があります。

 そのために必要なことは2つあります。

  • 自然をよく知る
  • 人間の欲望をよく知る

 実が、2つめの問題に対して正面から取り組んでいる例をあまり見ないという印象があります。たとえば、何らかの施設を建設するという話が持ち上がった場合、それによって破壊される自然についての話はよく見かけます。しかし、そのような施設の背景にある「人間の欲望」について本当に検討している事例はあまり見ません。せいぜい、「不正な癒着によって金儲け手段として要らない箱物が作られる」程度の認識レベルでしかありません。

 まずここできっちり把握しておきたいのは、人間は建築物が好きである、という点です。サラリーマンはマイホームを夢に見て、役人や政治家や企業経営者は大きなビルを夢に見るかもしれませんが、いずれにしても自分で作れる範囲内で建築物を造りたいと思うことは、人間が持つ健全な欲望の1つだと言えます。

 そう。それは人間が持つことが珍しくないポピュラーな欲望の1つです。

 従って、どのような建築物であろうとも、それは関わった様々な者達の夢、希望、思惑、利益などが反映した存在であり、その一部は形状に表出します。

 しかし、建築物は人間の思いだけで形状が決まるわけではありません。実際には物理的な自然法則や利用できる資源、法律などの制限があるため、様々な拘束を受けます。

 その結果、建築物の形状には「拘束の中でいかにして目的を達成するか」という人間の苦闘の後も表出する場合があります。

 つまり、建築物を見る……という行為は、それを通して以下を見る行為でもあるのです。

  • 関わった様々な者達の夢、希望、思惑、利益など
  • 自然法則、資源、法律などと人間の苦闘の結果

 一言で要約すれば以下のようになります。

  • 建築物を見る行為とは、人の思いや行いの結果を見る行為である

 つまり「人間の欲望をよく知る」ための1つの手段たりえます。

言葉は嘘をつく §

 ここで1つの疑問があり得るでしょう。

 人間の欲望を知るだけなら、建築物を見ないで話を聞けば良いのではないでしょうか?

 この問いはもっともですが、明快にノーと言えます。

 なぜなら、「言葉は嘘をつく」からです。

 たとえば、政治家のAさんが自らの欲望を満たすために、とある建築物を造りたいと思ったとしましょう。ではAさんは本音を言って予算獲得に奔走するでしょうか? それはまずあり得ないでしょう。予算を獲得するには、もっともらしい理由が必要です。単に自分が作りたいから、という理由で予算は得られないでしょう。では完成したら本音を言うでしょうか? もちろん言わないでしょう。せっかく完成した建物に、嘘で造られたという評判は立てたくないと思うのが普通でしょう。

 しかし、作られた建築物そのものは、(意図通りに作られていれば)建物に与えられた思惑をきちんと反映しているはずです。

 つまり、言葉を聞くのではなく現物を見てこそ分かることがあるわけです。

まとめ §

 自然保護主義が「自然を見る」立場であるとすれば、ドボク系は「人工物つまり人が作ったものを通して人間を見る」立場だと言えます。つまり、「自然中心主義」と「人間中心主義」です。

 (従って、ドボク系の人たちがそれぞれ独自の専門分野を持ちながら、容易に越境して別分野を楽しめることは当然の帰結と言えます。彼らの本質が「人間中心主義」であれば、ポイントは「人が作り出した」という点にあるから)

 人と自然の間に横たわる矛盾を解消し、健全なバランスを回復するためのカウンターとして、「人間中心主義」は貴重な価値を持つと言えるでしょう。人間を不幸にする自然保護を人間が実行することは極めて難しい以上、人間を知ることは妥協点を探るための重要な課題であり、ドボク系という文化はそのような意味で大きな価値を持つのではないかと思います。

カテゴライズ §

 上記の通り、これは「人工物」よりも「歴史と文化」に近い問題であり、このサイトでは「ドボク系」を「歴史と文化」の下位に位置づけました。

感想 §

 この1文を書くだけで、何日かかったか分かりません。没にした原稿の量もかなりにのぼります。それだけ難しい問題だと言えます。ただし、難しいのは表現方法です。内容は全く難しくありません。

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