というわけで、少し分けて書きますが。
                     「玉電が走った街 今昔」の表紙折り返しに乗っている昭和12年の沿線案内に以下のバス路線が見られます。
                    
                      - 大坂上→世田谷区役所前→宮ノ坂(山下の次の駅、上町の2つ前の駅。現存しない)→経堂→恵泉女学院
 これを見て、ずっぽりと目から鱗が落ちました。
                     これはほとんど滝坂道沿いです。
                     現状は特に経堂以西は買い物道であり、けしてバスが通れる道ではありませんが、玩具のようなバスがとことこ走れない道ではありません。それに、そこまで歴史を遡れば他に大した道もないでしょう。
                     とすれば、世田谷線の本来計画された理想型も見えてくるというものです。世田谷線が上町で強引に向きを変えて下高井戸を目指すのは後から変更されてのこと。本当は、そのまま滝坂道の南側をキープしつつ北西方向に進んでいたのかも。
                     だから、本来超える必要が無かった北沢川を山下で超え、そこから支流の谷地を通って下高井戸に至るという不自然な経路になってしまうのかも。
                     いやまあ、私は下高井戸の住人だから下高井戸の方がいいと言えますが、本当は経堂方面に接続した方がみんな嬉しかったのも。
                    
                    
                    ただし §
                     世田谷区役所前はもしかしたら滝坂道の支道という可能性もありえますが。