世田谷区郷土資料館に行ったとき、山下と上町についても質問してみました。上町は不明でしたが、山下の方は少しだけ進展がありました。
出して頂いた古い縮尺の大きな地形図はホームらしい線が入っていましたが、これで徐々に見えてきました。
- 上りホームと下りホームは同じ位置で向かい合っているわけではない
- 下りホームは現在とあまり変わらない位置にあるように見える (小田急との間の隙間が狭くなったように見えるのは、小田急複々線化の影響かもしれない)
- 上りホームは、現在の上りホーム下高井戸側の道より更に下高井戸側に描かれているように見える (ただし、道そのものはまっすぐで、現在のように曲がっていないので、ホームは一部重複する感じで)
つまり、「山下」が北沢川の上に重なっているように見える地図と北沢川より南にあるように見える古地図があるのは、どちらのホームを選ぶかで駅の範囲が変わってくるからだと思われます。つまり、実際の駅は北沢川の南側に存在するが、上りホームの向かい側に北沢川が見える状況でホームの違いを無視して地図化すると、川の上に重なって駅があるかのように描かれてしまう、ということでしょう。
すると謎が解ける §
ただ、桜上水Confidentialさんよりのメールにあった以下の点を考えると、更に違うことも考えられます。
- 「山下」とは北沢川北岸の地名である
- 「山下」の下高井戸側の坂の上にある三井生命はもともと駅を意識した場所ではなかったか
ということは、元々の山下駅は北沢側北岸の三井生命にもっと近い位置にあったということも考えられます。現位置への移動は小田急との接続を良くするために行われた可能性も考えられます。
すると以下の謎が解けます。
- 山下駅と旧・宮ノ坂駅がなぜ極端に近すぎたのか→山下駅の位置が小田急寄りにずれたので、近くなってしまった
- 山下駅は緩いとはいえカーブ上にあって、ここに駅を作りたかったとは考えにくい→本来の位置はもっと下高井戸よりだった
とはいえ §
北沢川北岸は単なる仮説。
さて、ここから先は調べて分かる話かどうか……。