今まであまり注意していなかったのですが、細川上水という興味深い存在があるようです。
- 途中まで三田用水とほぼ同じ経路を辿っていた
- 2回経路が交差しているらしい
- 江戸時代に廃止され、しかも三田用水と一部統合されたようで、極めて分かりにくく追いかけにくい存在
- ネットを検索してみると実は違う解釈を書いたページも多い。本来は玉川上水から分岐した分水なのだが、三田用水から分岐したかのように書かれている
実は、谷の水路は2本であることが多いと感じていました。中間は水田です。一方で、稜線上の水路は1本であることが多いと感じていました。人工水路で、玉川上水のような水路だからです。
ところが、細川上水の存在を考えると、必然的に稜線上に水路2本ということになります。
しかも、同じ玉川上水から取水したということは、水面高が大差ないことを意味します。それにも関わらず交差させることは不可能ではありませんが、凝った仕掛けを入れることになります。
そして、異説の流布も興味深いところです。
更に言えば、取水口から井の頭線のあたりまで三田用水跡地におおむね沿って歩いたことがあります。しかし、それと並行して水路があったことになります。
ゾクゾクしてきますね。
ここにも重大なミステリーがありそうな気がします。
邪馬台国がどこにあっても関係なく、興味もありませんが、水路であれば物理法則に従うことになり、地形の大幅な改編さえなければ推測可能です。ちなみに、玉川上水から離れた直後は極めてエキサイティングです。代々木上原方面などから入ってきた谷地も多く、極めて狭いラインを通して水路を設置しなければならないことが分かります。つまり、東北沢付近で水を通せる範囲が極めて狭い領域があり、水の交差がこのあたりで必須とされた可能性も考えられます。