「1つ、映画の話をしようか」
「うん。なんだい?」
「告白が今流行ってるらしい」
「そうなの?」
「TOHOシネマズのサイトで長い間1位だし、実際に上映が続いていて客もけっこう入っている」
「かなりの人気だね」
「普通は、2週間もすればシネコンでも上映回数が1日1~2回ぐらいになって、そのまま消えているのだが、もう何週間も過ぎたのにまだ何回も上映している」
「そうか、かなり多いね」
「しかも客が入ってる」
「確かに邦画なのにヒットしているね」
「問題はさ。この映画が『賢いつもりの僕』の敗北を描き続ける作品なのに、客が入り続けているという点にある」
「というと?」
「『賢いつもりの僕』というのは、基本的に誰にでもある類型だ」
「じゃあ全員が敗者?」
「そうじゃない。『賢いつもりの僕』は基本的に社会に出ることによって、実際は自分で思っているほど賢いわけではないと思い知らされ、結果として大人になるんだよ」
「通過儀礼みたいなものだね」
「さて、ここで問題だ。では、『賢いつもりの僕』が集まるのはどこだろうか」
「いやちょっと待てよ。社会に出ると実際はそれほど賢くないことが分かってしまうのだろう? ということは人間が集まるとそこに社会が発生してしまうから、どこにも集まれないのではないか?」
「半分は当たりだが、半分は間違っている」
「というと?」
「確かに『賢いつもりの僕』は基本的にどこにも行くことができない」
「え?」
「だからさ。学校では友達もいない孤独な奴で、しかも家に閉じこもって不登校になる」
「ええ!?」
「だから。犯人の1人が不登校になる展開は全くその通りなんだ。作った人は良く分かってるよ。過剰な潔癖症なところとかね」
「じゃあ、どこにも行けないだろう」
「いや、そうじゃない。彼らには、ネットという場所があるんだ」
「ええ!?」
「ネットでは誰にも会う必要がない。しかも基本的に匿名だ。名前を名乗っても名乗りは自称でしかない実質的な匿名だ。書いた自分は常に透明なんだ」
「そうか。もう1人の犯人がクラスで友達を作らず、ネットを使って自己アピールするのはそういう意味で妥当なんだね」
「うん。作り手は良く分かってるよ」
「そうか」
「で、思った」
「何を思った?」
「だからさ。映画界ってのは、『賢いつもりの僕』が集まる暗闇の光なんだよ」
「え?」
「そういう人間を集めるオーラを昔から放っているんだ。才能を認められそうな幻想に満ちている」
「まさか」
「でも、映画界はそういう人間をそのままでは許容しない」
「なぜ?」
「映画は基本的に共同作業で作り上げるものだからだ。スタッフの1人が子どもっぽい自己顕示欲で賢さを誇示するために作られるわけではない」
「なるほど」
「自分をある程度殺して力を合わせないと映画はできあがらないわけだね」
「客もそうだ。常に、他の客と同じスクリーンに入って見ることが要求される。自分の都合で思い通りに見ることはできない」
「なるほど」
「たとえば、映画の途中で犯人が分かったからといって、分かったぞ。あいつが犯人だと叫んではいけない。大声はマナー違反だからだ」
「なるほど。つまり、映画に関わるということは社会に関わることであり、『賢いつもりの僕』は常に破壊される方向に作用するわけだね」
「むしろ、破壊されるというよりも、積極的に排斥されるのだろう」
「そうか。いくら素敵な映画の企画がありますと言っても、門前払いか」
「そんな奴がたとえ凄く良い企画を書いても、現場で監督して上手くやれないからうざくて迷惑ってことだろう。映画は客の前で上映しないと完結しないが、そもそも映画を作れないのでは企画が良くても意味がない」
「なるほど」
「アマチュア映画祭なんてのは、そういう『賢いつもりの僕』で山盛りさ」
「じゃあ、なんでそういうイベントがあるの?」
「本物の才能が埋もれているからさ」
「なるほど。つまり、映画界は『賢いつもりの僕』を歓迎しないわけだね」
「もちろん、判断は個々人が行うから、それぞれの基準や考え方がある。全ての人間がそうだとは言わない」
「そして、それは『賢いつもりの僕』の集まるネットから見ると対極かもしれない、ということだね?」
「うん。告白を見てそう思った」
「でもさ。全ての人間がそうじゃないってことは、中には『賢いつもりの僕』を受け入れることに好意的な映画関係者もいるってことじゃないか?」
「うん。いい点だ」
「単に少数派で理解がないってことじゃないの?」
「いいかい。たとえば『賢いつもりの僕』が好む典型的な文化が『萌え』だ」
「うん」
「映画館に行くと、『萌え』の存在感はほどんど無い。萌え映画は何本のあるはずなのに、ポスターを見たことはほとんど無いし、予告編を見たことは1回もない。山ほど知らない映画の予告編を見せられたし、そこに私の選択は働いていないが、1回も見ていない」
「それは、君がそういう映画館を選んで通っているということじゃないか?」
「それは違う。実はそういう観点で映画館を選んだことは1回も無いからだ。そもそも、目的の映画が上映されているかは分かるが、予告編に何をやるかは行ってみないと分からない。予告編に何を流すか決めているのは基本的に各映画の興行主側や映画館側だからね」
「なるほど」
「一方で、実は本屋には『萌え』の存在感はあるんだ。『萌え』漫画は山ほど積んであって、ラノベも山ほど置いてある。どこの本屋でもまず同じだ」
「えっ?」
「だからさ、ここでいう『賢いつもりの僕は排斥される』というのは、実は本屋の現状との対比で意味を持つんだ」
「というと?」
「だからさ。出版業界は必ずしも『賢いつもりの僕』を排斥していないで受容している。でも、映画業界は排斥している」
「いったいどこが違うんだろう?」
「出版物というのは、基本的に1人で書いて、1人で読むものだからね。みんなで作ってみんなで見る映画とは異質なのかもしれない」
「そうか」
「しかし、このコントラストは本当に驚くよ」
「というと?」
「本屋ではアニメ化の言葉が踊る帯を巻いた萌えコミックが山積みなのにさ。劇場に行くとそれらの存在感は無いに等しい。ジョニー・デップの顔がでかでかと表紙になった本とか、ポケモングッズは売ってる。でも、萌えグッズは見たことが無い」
「それって、かくあるべきと理想論を語って他人を驚かせるのじゃなくて」
「そうだ。そんな理想論は意味がない。犬にでも食わせろ。これは、おいらが驚いた話なのだ」
「虚構の理想じゃなくて、君が感じた現実の感想なんだね」
「予想もしなかった状況を見せられて驚いたのはこっちだったのだ」
オマケ §
「あ、でも分かったぞ」
「何を?」
「昔、さる集団があったのだ」
「うん。どんな集団?」
「オタク集団と思いねえ」
「それで?」
「主要構成メンバーはみんなオタクで、平然と萌えを語れた。というか、そうでない奴は離れていって、そういう連中しか残らなかった」
「うん」
「実は集団の開祖は印刷業者でり、他にもさる大手印刷会社の社員もいた」
「え? それって広い意味では出版業界じゃないか」
「でも、映画業界の人は誰もいなかった」
「ええ!?」
「萌えゲームの世界にいる人はいても、映画業界の人は誰もいなかった」
「えええ!?」
「だからさ。今まで見落としていたけど、ここに1本の境界線が確かにあるような気がしてきた」
「なるほど」
「念のためにもう1回補足すると」
「なにを?」
「ここでは境界線を引いて区別するべきであるというべき論、理想論は言ってない」
「またそれか」
「私が何を見てどういう感想を持ったというファクトを語っているだけだ」
「異論を言うには、君の頭の中を覗くしかないね」
「うん。そうだ。テレパスじゃないと反論は難しい」
「でも、くどいね」
「でも、こういうことはくどいほど言わないと。もっとも、分からない人は永遠に分からないままだしね」
「これぐらいわかるんじゃないか?」
「分かった分かったと読み流して実は文章の趣旨が読み取れていない事例は多いよ」
「え?」
「読んだ分かったという相手に対して、だってここにそう書いてあるでしょ! と怒りながら指摘した経験が無いとでも思ったかい?」
「文章が難解だったんじゃないの?」
「分かって頂くために明快にはっきりと強調して書いた文章が受け付けられていなかったことすらあるだぜ」