既に「弁財天から続く径路・これは古道なのだろうか?」「水源地を結ぶ道」として書いてきた推定古道ですが。思いがけなく新しいヒントから修正しました。
より大きな地図で 古道だろうか2 を表示
まず、赤いピンに古い社があります。社の向きに平行の道は古道のようです。世田谷古道地図にも記入があります。とすると、この推定古道がこの社の位置と古道に噛み合いません。
そこで、あらためて考え直してみました。今度は「1880-85の迅速図を今昔マップ2で見る」という追加の資料を加えました。
基本的な方針は以下の通り。
- 基本的に迅速図のラインを尊重する
- 迅速図にないラインは、後年の道路だから採用しない
- とはいえ、失われた道はあり得るので、道路を絶対視はしない
結論 §
というわけで、上の地図です。経堂小学校は通らず、かなり西に寄りました。また、道路はそこまでです。滝坂道と合流して終わりです。また下高井戸周辺でもかなり径路が北に寄っています。甲州街道に合流後は甲州街道と同じ径路になってしまいます。(しかし、甲州街道成立前という前提で推定しているので問題ない)
しかし、新しいラインを引き引いて驚きました。
北沢川の自然の水源と想定される場所の常に北側を通っている?
南の終点となっている箇所は、実は前から気になっていた場所で、駅から遠いのに意外と活気のある場所です。経堂の商店街がここまで続いています。しかし、ラインをここまでとしたのは、迅速図ではここまでしか道が無く、この先は滝坂道経由で別の道に出て行くと推定したからです。これより南に行くと、烏山川を超えねばなりません。それはおそらく別の問題です。
余談 §
結果として、これは原型北沢川像の修復作業にもなっています。つまり、上流部の人口水路で見えにくかった本来の水源の再推定です。