きむらたかし@三田用水さんよりメッセージを頂きました。
川俣様御指摘の、八幡山駅下の水路
あるいは、その西にある北西に向かう谷の方かもしませんが、
烏山用水の2代目の水路だった可能性が高いようです。
世田谷の河川と用水(世田谷区教育委員会・S5212・15刊)
のP.77によれば、
万治9年「樋口は最初烏山村内に設けられ、1尺四方、長さ9
尺の樋を伏せたが、その後上北沢用水と同じく上高井戸村地
内に写され、水口9尺となち、さらに明治4年(1871)、多摩郡
久我山村掘向に移された。
とあります(執筆は、三田義春氏)
そして、同書の42図によれば、2代目の烏山用水路は、ちょう
ど、現在の八幡山駅の西を通っていたことになります。
あらためて地図とにらめっこしたところ、以下のことが分かりました。
- こちらが問題にしている水路跡とは微妙に違う
- むしろ「その西にある北西に向かう谷の方」にあたるかもしれないが、従来の把握していた水路とも違う
ならばどこかといえば、どうやらとんでもない場所かもしれません。
実は、以前から京王線と環八が交差する北東側のコーナーが、微妙に不自然に土地が区分けされているのが気になっていました。
ずばり、「烏山用水の2代目の水路」として想定されているのは、ここかもしれません。
とすれば、予想もしなかった水路パート3です。
しかも、「烏山用水の2代目の水路」だとすると以下のような推定も追加できます。
- 目的は玉川上水の水であり、最終ゴールが推定できる
- 水路跡としての痕跡はかなり少ないが、早期に利用が終了した人口水路なら当然。昭和22年の航空写真でも水は見えない。しかし、地元民の便利な道路等として痕跡が残る可能性がある
というわけで、想定を交えてズバッと引いてみました。
より大きな地図で もう1本の謎の水路跡!? 2代目の烏山用水路!? を表示
感想 §
こうして見ていくと、水路の量に圧倒されます。やはり上北沢村の土木開拓能力は非常に高かったのかもしれません。下高井戸では考えられない量です。もう1つ。径路がほとんど環八とかぶり、しかも甲州街道と環八の交点を通過してしまうので、痕跡がほとんど残りません。