一般民家内に2カ所も鳥居を発見して、以下のように思いました。
そして、更に思います。
ならば以下のように推定できます。
ちなみに、神田川の南岸にも永福町がありますが、異質なイメージは主に北岸側にあります。神田川で分かれているのかもしれません。
さて、てさんよりメッセージを頂きました。(以前にも関連で頂いています)
Subject: 永福町で、謎の鳥居またも発見
Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20101217000218
名前: て
川俣さん。こんにちは。
これらは、永福、和泉地区ですね。
古い民家では家の敷地内に、お稲荷さんを祭る風習があったのかも知れませんネ。
前情報から、気にして見ています。
世田谷の赤堤、松原地区にも古い住宅内にも結構ある様です。
また、私が最近気にしている烏山地区では、亡くなった方を墓地に埋葬せず、家の敷地内に墓を建てる風習があったそうです。
兎に角、世田谷在住の私は、杉並の郷土資料の入手に、時間と手間が掛かるので、川俣さんの情報、ありがたいです。
ここで気付いたことは、おそらく2つの方法論があることです。
- 宗教的な施設を家の敷地に内包する
- 宗教的な施設を家の外部で利用する
下高井戸はおそらく伝統的に後者です。
家の仏壇より大きな規模で、宗教的な施設を見たことがありません。
一方で、前者のような地域は実際にあるかも知れません。「私が最近気にしている烏山地区」という烏山ですが、実は芦花公園駅から千歳烏山駅に歩く途中でこんなものを発見したことがあります。(2010年5月22日撮影)
何の変哲もない住宅街にこれだけです。
とすると、逆に気になるのが、下高井戸の小菊橋近くの墓です。すぎなみ学倶楽部の高井戸の語源も話に出てくる墓です。これは極めて小規模で数基しか墓石がありません。これは、前者の文化の系譜にあって作られた墓だが、墓だけが残された形態かもしれません。(通常の寺社の墓にしては規模が小さすぎる)
いずれにしても、まだ良く分かりません。
ただ、意外と大きな文化分断ラインが身近にありそうな気がしてきました。