桜上水Confidentialさんのお書きになった文章ですs。
本文については何もコメントする気はありません。箱根の山から西のことは良く分からない……からです。
しかし、以下の部分だけは別です。
そんな千数百年前のことを とおっしゃるなかれ。
街の景観はここ数十年で驚くほど変わっています。
100年前のことすら考えられないぐらいに変わっています。
たまに江戸時代等の遺物が大切に保管されているだけです。
ところが、いろいろ調べていくうちに、土地の境界線はほとんど変化していないことが分かってきました。世代が変わって持ち主が変わっても、売買されても、土地の境界線は維持されることが多いようです。
大規模な再開発を行った地域を除けば、けっこう古い土地の境界線が残されている感じです。もちろん昔のこのあたり(武蔵野台地)は農地が多く、より大きな区分であったでしょうが。
しかし、それでもまだ甘い。
滝坂道になると古甲州街道として、甲州街道ができる前つまり江戸時代以前まで遡ります。世田谷城址も同じように、江戸時代以前の痕跡ということになります。
それでもまだ限界ではありません。
昔、府中と調布は似たような街だと思っていました。どちらも京王線の特急停車駅で名前の音も似ています。
しかし、実際に通うとまるで違うことが分かりました。都心から遠いはずの府中の方が圧倒的にゴージャスな大きな街です。これも根拠となる理由は武蔵国の国府が置かれた場所が府中ということで、歴史の深さが違うのです。
つまりこういうことです。
- 我々が見ている景観は一見新しいように見えても、実際は極めて古い要素を含む場合が当たり前のようにあり得る
- その古さは数十年ではなく数百年単位であり、場合によっては千年を超える
逆に以下は間違いとなります。
- 様々な遺物、遺構が失われつつあるから過去を探求する面白さはもうすぐ無くなる
たぶん、個別の遺構が失われても、総論としての過去を探る手がかりは100年や200年という単位で失われるものではないのでしょう。