「電力に関して気付いたことがいろいろあるので並べてみるぞ」
「頼むよ」
2003年問題 §
『2003年に原発が全停止したのに、停電はなかった。今回停電があるのはおかしい。東電は責任を持って回答すべきだ』
「ググれ」
「解説してくれ」
「同じ疑問を持った奴は既に一杯いて、質問も行われ答えも出ている。クソ忙しい東電に回答を個別に迫ったところで、いつ答えが来るか判らないし、むしろ混乱を助長するだけだろう」
「他力本願ではなく自分で情報を集めろってことだね」
ピーク問題 §
『電力が足りないのはピーク時だけ。他の時間は今まで通り電気を使って良い』
「ピーク時以外でも計画停電が行われている理由を考えてみろ」
「解説してくれ」
「60Hz地帯で節電しても東電、東北電の管轄地域内の助けにはほとんどならない、というのはその通り。でも、節電が無意味という話はそもそもない。電気の無駄遣いは平常時でも戒められるものだ。電気は大切にね、というCMが震災前にもあったことがどこかに飛んでいる。しかも、ピーク時のリスクとして認識されるのは単なる計画停電じゃなくて大停電だ」
「計画停電と大停電ってどう違うの?」
「計画停電とは、事前に停電計画があって、アナウンスされ、停電の可能性と範囲がおおむね把握できるものだ。大停電は、様々な理由から予測できないタイミングで連鎖的に送電が止まって広域にわたって停電する状況だ」
「そうか」
「しかも、2011/03/21あたりの『休日は電気が足りているから計画停電しない』という表現は、節電による効果が含まれる。節電やめたら足りなくなる可能性だってある」
「なぜ休日でも駅のエスカレーターが止まっているか理由を考えて見ろ、というわけだね」
「本当に電力に不安がないならエスカレーターはピーク時に止めるだけでいい」
サンドバック東電 §
『全部東電が悪い。原発も停電も放射能も品不足も何もかも全部だ』
「君の精神状態の方が心配だ」
「解説してくれ」
「けっこう最近ネットで見るのは、不安をぶつける相手を東電に選んで叩きまくっているタイプだ」
「えーと。それは悪の東電を告発していると見せ掛けて、実はやり場のない不安を東電叩きにぶつけているだけってことだね?」
「そうだ。そもそも、東電の一存で原発なんて作れないだろう。国の原子力政策との関連性もあるし、地元との関係もある」
「うん。そうだね」
「更に、火力はCO2出してエコじゃないし、水力は自然を破壊するとかいって反対運動も根強くてなかなか新設できないしね」
「太陽光発電とか、風力発電に移行すべきってことじゃないか?」
「夜は停電していいとか、風がない日は停電していい、というのならな」
「いや、それも困るな」
「結局さ。ここまで東電を追い込んだのは誰かってことだ」
「というと?」
「国と国民が東電の手足を縛って自由にさせなかった過去があるわけで、こんな東電を作ったのはまさに国と国民。東電だけ叩いてもなんら問題は解決しないよ」
「そうか」
「更に悪い可能性を指摘しよう。サンドバックも壊れる時がある」
「東電が壊れる時ってまさか」
「電気が供給されなくなる日さ。戦前は山のようにあった電力会社だが、戦中戦後は規制されている。東電が死んだら東電の送電地域に代役になる電力会社は存在しない」
まとめ §
「東電が電力の使用状況グラフというのを公開し始めた。この状況にしては、かなりのサービスだと思う」
「そうか」
「それはさておき、結局、この状況がまだ何かよく認識されていない気もするな」
「というと?」
「この状況は、不安と不便を抱えて長時間を走り抜くマラソンなんだ。不安と不便に負けたらリタイアというシビアなレースを疾走中ということだ」
「東電をサンドバックにして不安をぶつけるというのは、不安に負けた状態ってことだね」
「そうだ。不安を自分の中で処理できなかった、という精神の敗北だ」
「うーむ」
「更に、電力が足りないのはピーク時だけというのは不便に負けた状態だ」
「ははは、それじゃ既にマラソンからのリタイア組ばかりってことじゃないか」
「だからさ。みんな短距離走だと思って走っているから息切れするんだ。でも、こういう状況が一ヶ月以上続くことも、夏場にまた不安が再来することも、震災直後に既に分かっていたことなんだ」
「それって……」
「震災直後の冷静な対応が海外から賞賛されても、それは短距離走の話。マラソンになると状況はかなり変わってくるかもしれない」
「おいおい」
「今後、日本人は本当に賞賛されるような対応がマラソンで取れるかな?」