僕は料理なんてできなかったけど、コーヒーには自信があった。だから、大学1年の夏のバイトは、迷わずコーヒーショップを選んだ。
バイトの初日、僕は支給された制服を着て先輩達の前に出た。
「こう見えても、コーヒーミルの扱いには自信があります」
すると先輩達は笑った。「店で使うのはミルじゃなくてグラインダーっていうんだよ」
僕は消えて小さくなりそうになった。どうやら家庭内の自信など、取るに足らない小さなものだったらしい。
しかし、コーヒーに対する味覚はまあまあ認められて、一生懸命下っ端として仕事をすることはできた。不幸中の幸いという奴だ。
実際に仕事をしていると、驚くことばかりだった。コーヒーの善し悪しは少しぐらいは分かるつもりだったが、客の判断は違っていた。先輩達はそれに逆らわないで言う通りにコーヒーを入れた。もちろん、先輩達は知識も十分で、客の意見に同意しているわけではなかったが、客の言う通りにコーヒーを入れた。これがプロなのだと僕も納得させられた。知識自慢は客の役目なのだ。
そのうちに分かってきたのだが、この店で最も迷惑な客はいつもブルマンを注文するオヤジだった。ウェイトレスにいつも「ブルマブルマ」と注文する。ウェイトレスが、「そのようなメニューはありません」と抗議すると、「ここにあるじゃないか」とブルーマウンテンを指さす。女性のウェイトレスを恥ずかしがらせるために、わざとブルマブルマと言っているだけなのだと、先輩達はウワサしていた。要するに、セクハラオヤジである。
ある日、列車事故が起きて先輩達は店に来られなくなってしまった。幸い、徒歩圏内に下宿があった僕だけが店に出ることができた。それで何とか最低限の運営はできるはずであった。
しかし、運が悪いことに、そういう日に限ってブルマ大好きブルマンオヤジが来たのだ。
「いらっしゃいませ」
「おい、女のウェイトレスはいないのか?」
「あいにく、今日は列車事故の都合でおりません」
「でもまあいいか。君もなかなか初々しくて可愛いじゃないか。じゃあ1つブルマを頼む」
こ、こいつ……、男色の気もあるのか。まあ戦国武将も少年をそのために戦場に連れて行ったと言うし。でも、大人しく恥ずかしがってなどやるものか。
僕は平然と「ブルマですね。かしこまりました」と平然と頭を下げて奧に戻った。そして、裏口から出ると隣のスポーツ用品店でブルマを買い込み、すぐに戻った。
「お客様、ブルマでございます」と僕は買ったばかりのブルマを客に見せた。
狼狽したのは客の方だった。「私が頼んだのはそれではなく、飲み物の方だ」
「かしこまりました。ただちにグラインダーで引いて飲めるように致します」
僕は、奧に戻るとブルマをグラインダーに放り込んだ。客が慌てて追いかけてきて、謝った。「すまん。違うんだ。ブルマじゃない。ブルマン。ね、分かるだろ? あくまでコーヒーのブルーマウンテンだからさ」
「では、このブルマはいかがいたしましょうか」
「無駄な出費をさせたようだね。私が買い取るよ」
「分かりました」
僕はお金を受け取ってブルマを渡した。
「これでブルマは私のものだから、どう使っても自由ということだね?」
「でも、他のお客様の迷惑になりますから、自分ではくなどと仰らないでくださいよ」
「言わない言わない。当たり前だろ」
僕はホッとした。
「じゃあ、あらためて注文してもいいかな?」
僕はウェイターの顔に戻って注文を受け付けた。
「なんなりとご注文ください」
「君にこのブルマを進呈しよう。そして注文はブルマンを」
「ブルマンとブルマにどんな関係があるんですか」
「いやだから君がこのブルマをはいてコーヒーを持ってきてくれないか」
「なんで僕はブルマはいてブルマン運ばなきゃならないんですか」
「ほら。だって、ブルマをはいた男、略してブルマンだから」
僕はセクハラオヤジを殴り倒した。あまりに大きな音に、他の客が驚いてこちらを注目した。
僕は後で店長からは怒られたが、先輩達特に女性の先輩達から賞賛された。
(遠野秋彦・作 ©2011 TOHNO, Akihiko)