「というわけで、予告通りシベールの日曜日を見てきた」
「それで面白かったか?」
「これでもかというぐらい、最初から最後まで救いのない映画であった。ロリコンの聖典というのは、上っ面を見ただけの無理解だろう」
「じゃあ、面白くなかったの?」
「最後に、ボタンの掛け違いに気付いたのだ」
「なにそれ?」
「この映画は、何も理解しない馬鹿どもに翻弄される看護婦の悲劇が軸なんだよ」
「えっ?」
「おそらく、第2次大戦後の欧米はどうしようもない精神の退廃という病魔に冒されていたのだ。その状況はおそらく現代日本と共通する」
「共通?」
「12人の怒れる男達を見たときも思ったが、古い欧米の映画を見ていて今の日本が連想されることがしばしばある」
「どこが共通してるのだ」
「どうしようもない精神の退廃という病魔に冒されているところだ。ネットに蔓延する病理の数々を見たら分かるだろう」
「うーむ」
「だからさ。主人公の記憶喪失というのは、本当に記憶喪失を描きたかったわけではなく、時代の典型的精神病理というだけだ。だから、おそらく現代日本ではニートやひきこもりに相当するのだろう」
「かなり違うよ」
「時代背景が違うからな。しかし、おそらく位置づけは同じようなものだ」
「えっ?」
「だからさ、最後は分かっているのに周囲の子供っぽい無理解に翻弄されて破局を回避できない看護婦の虚無感。ここに帰結するのだ」
「えーっ」
「そこに、『うんうん、君の脱力感は良く分かるよ』と思いながら見るのが正しいのだろうと思う。というか、普段から感じている脱力感と同じようなものだよ」
名無し問題 §
「そうそう。最後にヒロインは自分にはもう名前が無いという」
「シベールじゃないの?」
「通称名と本名があり、本名は最後まで明かされない。しかし、最後の最後で名前はもう無いという」
「それってどういう意味だい?」
「意味の解釈はいろいろあり得るだろうが、ネットに蔓延する『名無しさん』と最終的に酷似してしまう点が興味深い」
「わははは」
解説問題 §
映画 シベールの日曜日 - allcinemaより
その時、ピエールを変質者だと勘違いした警官の銃が火を吹いた……。共に孤独であり純粋であった二つの心が、年齢差が違うというだけで社会によって引き離されてしまう悲劇。これが長編劇映画第1作となるブールギニョン監督は、モノクロ映像(撮影は名匠H・ドカエ)に二人の心象を託して美しい映画を作り上げた。ロリコンから熱烈な支持を受けている事でも有名だが、それだけにとどまらない優れた作品と言えよう。
「この解説がどうしたの?」
「ピエールはナイフを持って少女に近づいたので、射殺された。その時、何があったのかは実は映画では描かれていない。そもそも、精神を患っていて奇行に走るピエールが本当に殺そうとしていたか分からない」
「それって、本当に殺そうとしていた可能性もあるということ?」
「ぶっちゃけそういうことだ」
「でも、純粋な心だったんだろ?」
「純粋であるがゆえに暴力を振るうこともあるのだ。たとえば、子供の心は純粋であるが、子供は残酷ともいう。どちらも正しい。純粋さは安全であることを保証しない」
「そうか」
「それに、本当にこの映画をロリコンが熱烈に支持しているかかなり疑問だ」
「というと?」
「ならば、大人の女性である看護婦の描写が多すぎるる。そんな映画をロリコンは本当に好きなのだろうか?」
「君はどうなんだい?」
「おいらはあまり魅力を感じなかった」
「シベールから? 看護婦から?」
「両方だ。ただし、最終的に看護婦の方は共感を感じだ。最終的に無力を噛みしめちゃうところだね」
評価 §
「では、君はどう評価する?」
「この映画には救いが全く無い。どこをどう切ってもない。主人公はとんでもないダメ野郎だ。ストーカーまがい、ヒモまがい、親に見捨てられた立場の弱い少女の親代わりになるが、本当の親にはなろうとしない。何かあると叫んだり暴れたりする。かつて自分が殺そうとしたか殺した少女と似ているか同一人物の少女がそこにいて普通ではいられないのかもしれないが、結局、そのことを思い出す前に死んでしまう。あるいは死ぬ直前に思い出したという可能性もあるが、そこは分からない」
「じゃあ、ダメな映画?」
「そうじゃない。そういう救いのない話にこそ、ホッとして救いを見出す人もいるだろうってことさ。そういう意味で、とても凶悪な映画だよ。美しい映画じゃない。そこかしこに牙とナイフが仕込まれた怖い映画だ。ただし、表面だけ見て分かった気になると『純粋さを理解できなかった周囲から引き裂かれた可哀想なカップルの美しい映画』に見えてしまうと思うよ」
「違うの?」
「そうだ。看護婦は、当初その純粋さを理解できなかったが、最終的に理解できた。理解する方法はあるということが示されている。単に、分かりにくいだけだ。分かることはできる。だから、この映画の主題には『理解することができない』という要素は存在しない。それらは『理解可能』という位置づけで提示されている」
「では、この映画が言っていることはなんだい?」
「理解しているつもりの知ったかぶりこそが諸悪の根源にある。分かるための努力をしないで、分かっているはずだと決めつけて話を聞かない。理解可能なのに理解しようとしない。そういう態度が最終的に悪として残る」
「そうか」
「そして、もちろん、理解可能なのに理解しようとしない、というのは現代日本のネットにもよく見られる典型的な現代日本の病理そのものさ」
「そうか」
「であるから、結局のところ、この映画は『現代日本の病理に相当するものを1960年代に既に描ききったフランスの先進性に驚け』ということだ」
「それが結論だね」