「既に『悲観的セキュリティモデル』については話したね」
「うん。聞いた記憶があるぞ。悲観的な前提では今まで当たり前だった多くの機能が制限されるわけだろ?」
「そうだ」
「ユーザーから自由は奪われるのだろう?」
「そうだ。安全にしろという社会の大合唱の必然的な帰結だ。自分たちの要求が自分たちの手足を縛るという皮肉な展開だ」
「まだその話に続きがあるのかい?」
「うん、今日こういうブログを見てね」
「なんだい、これは」
「要点は、署名されたローダーしかBIOSは起動しない、というアイデアだ」
「署名って、けっこう金が掛かるぜ」
「悲観的セキュリティモデルでは、安全のために自由は制約される」
「どういうこと?」
「署名を入れられるだけのコスト負担と信用に耐えられる者だけがOSを作って配布できる時代が来るかも知れないよ」
「誰でも自由にOSは作れないのかい?」
「そうだ」
「君は若い頃OSを作ったと言っていたじゃないか」
「そういうことは、もうできない時代が来るかも知れない。強いて言えば、エミュレーション環境のサンドボックス内でOSモドキを作って見せることしかできないかもしれない」
「それってどういうこと?」
「手弁当で労力を持ち寄って作成するボランティアベースのOSは成立しなくなるかもしれない」
「それじゃLinuxとかも死んじゃうわけ?」
「おそらく死なないだろう」
「どうして?」
「Linuxというのは、『手弁当で労力を持ち寄って作成するボランティアベースのOS』という公的なイメージを持ちながら実際はバックで金が飛び交う商業的な存在だからだ」
「ぎゃふん」
「でもさ。本当の個人が作ってる小さなOSは淘汰されて消えちゃうかもしれないよ」
「個人が作っているという幻想をまとっていても、実は個人が作ってるわけじゃなくてバックに資金源があることが暴露されちゃうわけだね」
「かもな。未来のことはワカラン」
オマケ §
「でもさ。メーカー側の判断でいくらでも署名の確認は止める設定を入れていいわけだろ? そういうマシンを買えば、署名抜きでOSを起動できるだろ?」
「そうだ」
「じゃあ、それでいいじゃん」
「作るの俺、使うの俺1人という俺俺OSならな」
「えっ?」
「『余ったPCに入れてみて下さい。便利ですよ』とは言えなくなる。たまたま余ったPCが証明確認を停止できる保証はない」
「それじゃ普及させるのは難しいね」
「そうだ。そういう意味で、一定の割合のPCが署名確認を必須にしてしまったら、かなり自由は制約されると思っていいだろう」
「それでいいの?」
「いいも悪いも、それが悲観的セキュリティモデルの必然だ」
オマケ2 §
「話がかなり捻れてないか?」
「うん。だからさ、最初からセキュリティ猿とオープンソース陣営は犬猿の仲になるしかない。Microsoftという共通の敵がいるうちは何となく共闘できるが、Microsoftが弱体化した以後の世界では対立してしまう。セキュリティ猿が唱える安全の確保と、オープンソース陣営が唱える自由は相容れないからだ」
「そんなに?」
「悲観的セキュリティモデルは、セキュリティ猿の言い分を強く反映しているという意味でセキュリティ猿は反対しにくいだろう。しかし、強く自由を制約するわけで、オープンソース陣営は受け入れにくいだろう」
「皮肉な話だね」
「まさにな」
「君の考えは?」
「頭を使わないで両者の意見をどちらも正しいと付和雷同していた拡声器の皆さんはどうするのかな」
「既に野次馬気分かよ」