「最近、用事が多くて自転車にもあまり乗れず煮詰まっていた」
「それでいろいろな話題に進展がないんだね」
「でも、思い切って自転車で遠出することにした」
「ただ単に遠くまで走っても面白くないよね」
「そうだ。なので、子供の頃から地図上では知っていたが行ったことが無かった善福寺公園と池に標的を定めた」
「自転車で行くとかなり遠くないか?」
「遠いぞ。でも中央線との交差部分までは行ったことがある。そこから先はたぶん2kmぐらいだが、自転車なら楽勝距離だ」
感想 §
「それで楽勝距離だった?」
「いや。神田川沿いのサイクリングロードと違って、善福寺川沿いは道路が狭くてとても走りにくかった。しかも、一部には道路が存在しない場所まであった」
「ひぇ~」
「しかも、善福寺公園はとてつもなくでかい。上の池と下の池を両方ともまわってくると、けっこうな時間を要する」
「でもまわってきたんだね?」
「うん」
「それでどうだった?」
「変化に富んだ面白い場所だと思った。水路跡らしい道も発見したが追求は地元の人に任せよう」
「では満足したんだね?」
「そうだな。自転車漕いで1時間掛ける価値はある」
「微妙な言い方だね」
「そうだ。井の頭の池と比較したとき、雰囲気が違いすぎて驚いてしまうのだ」
「どう違うの?」
「善福寺池の方が、ずっと自然な『水のある環境』に見えるのだ」
「それってどういう意味?」
「桜上水Confidentialさんが、最近、神田上水の人口開削説についての一連の文章を書いているのだが、『善福寺池=自然の度合いが高い, 井の頭の池=人の手が入った度合いが高い』と解釈すると、なんとなく自分の印象と整合する」
「どういうこと?」
「この川は本来善福寺川側がメイン水路であったが、井の頭の水源を強化してそちらをメインにする大規模な土木工事が行われたのではないだろうか」
「他に何か根拠は?」
「善福寺川や妙正寺川と比較して、神田川は蛇行の度合いが少ない。あまり自然の川という感じがしない。まあ流路を改修しているという事情はあるけれど」
「でも、神田川の方が人工河川臭いのだね」
「身近に住んでいるとなかなか感じないけどね」
その先 §
「結局、杉並アニメーションミュージアムのところにある傾斜地が、今日走った善福寺川の傾斜地で、すぐ近く」
「そうか」
「かつて電車で行った西荻方面が今や自転車圏内と分かってしまった」
「それは近いね」
「更に言えば、法務局杉並出張所すら、既に自転車圏内だ」
「電車を乗り継いでバスに乗って行くとても遠い場所だったのにね」
「それは区内の縦方向の交通が不便すぎるためだと理由がよくわかった」
「実際の距離と体感距離は一致しないわけだね」